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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 描かれなかった絵本

■論説委員 田原直樹

戦争の本質 想像して行動を

 夏の盛りとなり、戦争の記憶をたどる報道が増え、書店に原爆や空襲の惨状を記す本が並ぶ。一方、政権は改憲に意欲を燃やす。自衛隊を明記して動かしやすくしたいらしい。

 そんな夏だからこそ、戦争回避へ何をすべきか、しっかり考えたい。8月ジャーナリズムと揶揄(やゆ)されようとも。戦争を知る人も減っている。

 考えあぐねて入ったひろしま美術館で、かこさとしの世界展を見た。「だるまちゃん」「からすのパンやさん」シリーズや、科学絵本「海」「宇宙」…。世代を超えて読み継がれている作品世界に浸った。

 展示室の隅に、趣の異なる絵が1枚あった。だるまちゃんが武器を踏みつぶし、黒雲を拳で突き上げる。「戦争妖雲打破!」と題した絵は4年前、安保法制に反対して描いたもの。この絵本作家の怒りが宿る。

 昨年亡くなったかこさとしさんの生涯をたどると、反戦の強い思いとそれを伝える難しさがしのばれる。

 かこさんは軍国少年だった。戦後それを恥じて悔い、子どもたちには過ちを繰り返させまいと、絵本を描き始める。その後、大家となっても反省を忘れず、隠さない。アジア諸国を訪れると決まって、飛行兵を志した若き日を明かし、もし軍人になっていたら何をしたか分からない、と言って謝罪したそうだ。

 そして非戦の絵本を描くこと―を自らに課した。何回も戦争絵本のプランを立てては何回もボツにしたという。そして結局、出せずに世を去る。真剣さ、誠実さ故に納得できなかったらしい。  自伝「未来のだるまちゃんへ」に次の言葉がある。

 「原爆」のむごさを描けば、それで戦争を描いたことになるのか―。 物事の本質を突き詰め、分かりやすく表現し、子どもに伝える人である。「戦争は絶対に起こしてはならない」というメッセージを届けるにはどう描けばいいか。単純なものでは伝わらないと考えたようだ。考え抜いて、試行錯誤を繰り返した。

 戦争の悲惨をいくら描いても、戦争は防げない―。そう語る表現者もいた。やはり昨年亡くなったアニメ映画監督、高畑勲さんである。代表作に、戦時下の兄妹の運命を描いたアニメ「火垂るの墓」がある。

 1945年6月、高畑さんは岡山空襲に遭い、おびただしい数の死を見た。「火垂るの墓」に凝らした表現、こだわりも体験があったから。東京の国立近代美術館で開催中の高畑勲展で知った。だが、その名作を「反戦映画ではない」と言う。

 日本の被害を描いた作品で、加害者としての側面がない―。アジアの人々の反応から、普遍的な「反戦映画」ではないと自覚したようだ。

 そして悲劇を描いても、「あの悲惨を繰り返さないため軍備が必要」という為政者が出てくれば、戦争は起きるとも語っている。

 かこさん、高畑さんの2人に共通するのは、被害の訴えではなく、戦争自体にあらがう内容や表現を追い求めた姿勢だ。惨状を語り継ぐ大切さは認めつつも、創作者として、戦争を起こさせないためにその本質に迫る作品が必要と痛感したようだ。

 また2人は昨今の日本の「空気」に対する違和感、危機感を抱いた。「戦前と同じような空気を感じる」と、かこさんはいつも言っていた。長女で加古総合研究所の鈴木万里さんにそう聞いた。今のままでは戦争に突入しかねないと案じたからこそ戦争絵本に打ち込んだのだろう。

 かこさんの社会の本シリーズに、「こどものとうひょう おとなのせんきょ」の1冊がある。民主主義の本質を問い掛け、数の論理がまかり通る社会を、あとがきで批判する。改憲勢力を増やそうとする画策にも当てはまりそうだ。

 出せなかった戦争絵本は、かこさんの心残りに違いない。だが多くの絵本や文章、創作の姿勢からくみ取ろうとすれば、メッセージも浮かび上がるのではないか。反戦の願いや取るべき行動が、大人の私たちにも見えてくるかもしれない。

 2人の絵本とアニメに通底するものを感じ、考え、非戦の思いを受け継ぐ夏としたい。

(2019年8月1日朝刊掲載)

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