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遺品 無言の証人

夫の形見の懐中時計

37歳 似島で息絶え

  夫が最期まで身に着けていた懐中時計とパイプ、ベルト=1985年、鍋島シヤ子さんが原爆資料館に寄贈(撮影・田中慎二)

 今も銀色に輝く懐中時計は、被爆直後と思われる時刻で止まっている。被爆後に似島(現広島市南区)で息絶えた鍋島重雄さんの遺品の一つである。福山市に住んでいた妻の故鍋島シヤ子さんが1985年、原爆資料館(中区)に寄贈した。

 重雄さんの名は、広島市が71年に編んだ「広島原爆戦災誌」に「広島地区第16特設警備隊」部隊長として記されている。37歳だった45年4月、3回目の召集を受け、賀茂郡竹原町(現竹原市)に駐屯する部隊に入隊した。8月1日から建物疎開作業のため広島市水主町(かこまち)(現中区)に出ており、6日目に原爆に遭った。

 現場で多くの人が遺体で見つかる中、重雄さんは似島へ運ばれたとの情報が部隊に届く。他の隊員が島に渡って受け取ったのが、懐中時計やパイプ、ベルトなどの遺品と遺骨だった。

 救護に当たった陸軍船舶特別幹部候補生は手記にこうつづる。「死期を覚悟して居られたのか、その顔は安らかで崇高でさえありました」。シヤ子さんは遺品を資料館へ寄贈した後の91年、本紙取材に「戦争のみじめさと平和の尊さを感じ取ってもらえれば、主人も喜ぶでしょう」と語っている。(山本祐司)

(2019年8月5日朝刊掲載)

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