×

連載・特集

筆に託して 戦争体験と表現 <1> 児童文学作家 那須正幹さん(77)=防府市

改憲に危機感 伝えねば

 敗戦翌年、戦争で家族を失った少年が粘土細工をこしらえる。戦争を起こしたり戦争で金もうけしたりする人をやっつける「神さま」なのだという。少年が戦争への憎しみを率直に表現した粘土細工は、やがて朝鮮戦争が始まると倉庫の隅にしまいこまれ、忘れ去られて…。

 1992年刊行の那須正幹さんの著書「ねんどの神さま」(ポプラ社)が近年、市民の読書会で取り上げられるなど再び注目を集めている。粘土細工は戦争放棄をうたう日本国憲法第9条の暗喩。四半世紀以上前の作品が読み継がれる背景には、改憲に強い意欲を見せる現政権の動きもあるのだろう。

 物語の続きはこうだ。忘れられた「神さま」は歳月を経て巨大怪物に。政府は化学兵器や小型核といった武力で対処するが、増えるのは住民の犠牲ばかりだ。

 ついに怪物は兵器会社へ赴き、社長と対面する。実はこの社長こそかつての少年だったのだ。怪物に「むかしみたいに、戦争がきらいじゃないみたい」と問われた社長は「強力な兵器で武装していたほうが、よその国から戦争をしかけられることもない」と返す。そして粘土細工に戻った怪物を粉々に壊してしまう。

 近年の国際情勢や政治家らの発言とも二重写しになるストーリーだ。那須さんは「僕たちも今、『神さま』つまり心の中の平和憲法を壊しているように見える」と語る。「僕には歴史への責任がある」とも。だからこそこれまで戦争や原爆を題材に数多くの作品を手掛けてきた。

 印象に残っている敗戦後の思い出がある。父から聞いた新憲法の話だ。家族会議を開いた父が、「日本は絶対に戦争しないし、軍隊もない」と教えてくれた。だがそれからまもなく朝鮮戦争が勃発し、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した。「憲法9条があるのになぜ。子ども心におかしいと思った」と振り返る。

 戦争児童文学として初めて刊行したのは「屋根裏の遠い旅」(75年)。少年2人が「戦勝国」として歩む架空の軍国主義国・日本に紛れ込む物語。戦争や平和の問題を過去のものにしない―との思いがにじむ。

 一方、原爆はあまりにも身近で、しばらく執筆の対象としてこなかった。

 45年8月6日、爆心地から約3キロの広島市庚午北町(現西区)の自宅で被爆した。屋根が吹き飛び、しばらくして雨が降った。当時3歳だったが、断片的ながら記憶が残る。押し入れに雨宿りし、眺めた「桃太郎」の挿絵が妙に色鮮やかだった。その後、泥人形のようになって逃げてきた人たちの姿を目にした。

 しかし81年に長男が誕生し、「次代に伝えねば」と考えが変わった。先輩作家の勧めもあり、84年にノンフィクション「折り鶴の子どもたち」を出版。原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの同級生たちの目線から像建立運動をまとめた。その後も絵本「絵で読む広島の原爆」(95年)や戦後の歩みをお好み焼き店主の3代記に重ねた「ヒロシマ3部作」(2011年)を著した。「生き残った者の義務として、原爆で亡くなった人たちのために何かしたい」という気持ちからだ。

 改憲の動きへ危機感をにじませながら「戦争や原爆を昔の問題と捉え、現在と地続きにあるのだと考える人が減ったようで怖い。もういっぺん子どもたちの心に響く戦争児童文学を書きたい」と力を込めた。(増田咲子)

なす・まさもと
 1942年生まれ。県立島根農科大(現島根大)卒。会社員などを経て、72年に作家デビュー。2000年に「ズッコケ三人組」シリーズで巌谷小波文芸賞。平和関連の書籍ではほかに「少年たちの戦場」(16年)など。

    ◇

 自らの戦争体験を出発点に、ペンまたは絵筆を握り、表現し続ける人たちがいる。体験者として何を伝えようとしているのか。私たちは、何を学び、受け継ぐことができるだろうか。表現者たちの作品と声を通し、考える。

(2019年8月6日朝刊掲載)

筆に託して 戦争体験と表現 <2> 日本画家 宮川啓五さん(92)=広島市西区

筆に託して 戦争体験と表現 <3> 作家 天瀬裕康さん(87)=大竹市

筆に託して 戦争体験と表現 <4> 画家 吉野誠さん(86)=広島市西区

筆に託して 戦争体験と表現 <5> 画家 岡田黎子さん(89)=三原市

年別アーカイブ