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被爆建物 語りだす 研究拠点へ進化期待 広島大旧理学部1号館 ゆかりの2人

 被爆建物で、広島市中区東千田町の広島大本部跡地にある旧理学部1号館を6日、ゆかりの女性2人が訪れた。佐伯区の日原治子さん(92)と、安佐北区の栗原明子(めいこ)さん(93)。長年その活用策は宙に浮いたままだったが、6月下旬、広島大と広島市立大が各平和研究部門を移転させる方針を決めたことが明らかになった。2人は被爆前後の建物の記憶を語り合い、平和研究拠点としての「進化」に期待を寄せた。(山本祐司)

 広島女学院専門学校(現広島女学院大)の同級生。2年生の時に被爆した。再会するなり「女学生の頃に戻ったみたい」と手をつないで歩き、小雨にぬれた1号館の前で足を止めた。

 日原さんは当時、広島文理科大の副手(補助員)。出勤前に三篠本町(現西区)の自宅で原爆に遭った。終戦翌月に退職したが、研究者らが行き交った被爆前を知るだけにキャンパスに入るのをためらい続け、この日、70年以上ぶりに建物と対面した。「原爆の恐ろしさをアピールできる貴重な場所。もっと早く活用してほしかった」

 一方、栗原さんは学徒動員先の東洋工業(現マツダ、広島県府中町)で被爆。大手町(現中区)の家を失い翌日から1週間、当時文理科大本館だった1号館前で母親と野宿した。

 そこで一緒になったのが、東南アジア出身で同大在学中に被爆した南方特別留学生6人だった。行方が分からなくなった父を捜し続けたが見つからず、気を落とす日々。留学生は「明日もあるから頑張って」と声をかけ、夜は屋上で祖国の歌を披露してくれた。

 あれから74年。留学生はいずれも亡くなり、1号館と自分が残った。新たな施設について「被爆した留学生の存在を伝えると同時に、海外の研究者も利用できるようにして」と望む。

 国際情勢は緊迫度合いを増し、核兵器廃絶への道筋はなお見えない。ここでの研究が世界を平和に導いて―。2人は、そう思いをつなげた。

(2019年8月7日朝刊掲載)

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