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「呉空襲体験記」見つかる 44年前 三津田高生が家族から聞く 元教諭保管「貴重な肉声」活用願う

 三津田高(呉市)の生徒と教員の手で44年前にまとめられた冊子「呉空襲体験記」を、同高元教諭の世羅博昭さん(78)=広島市安佐北区=が自宅書庫で見つけた。当時の3年生が、1945年の呉空襲に遭った親から聞き取った体験談など28編を収録。世羅さんは「生々しい肉声を伝える貴重な資料」とし、公的機関に寄贈することにした。(池本泰尚)

 B5判、64ページのガリ版刷り。紙は黄色く変色し、かすれた字もある。「父」「母」「祖父」など語り手と、聞き取った生徒の名が各編に記されており、生徒名のない一部は直接、寄せられた手記とみられる。

 「誰か水を下さい‼子供が死んでしまう‼と母親の号泣を聞いても、どうすることもできないのです。我身(わがみ)につけた水筒を取ることができないのです」「学校からの帰り道は、明日迄(まで)生きていたら又(また)会おうね、でした」…。生々しい体験談を収める。

 当時、同高で日本史担当教員だった鮄川(いながわ)宏造さん(故人)と岡田幸三さん(86)が3年生に呼び掛けて集め、呉市内の被災者にも頼んで加えたという。発行日は戦後30年に当たる75年の1月23日。同僚の世羅さんにも配られた。

 同高を経て鳴門教育大などでも教えた世羅さんは、約1万5千冊の蔵書と共に保管。体験記のことは忘れていたが、先月末、整理中に2冊を見つけた。「すぐにガリ版印刷の字が鮄川先生の字だと分かった。情熱的で人間味あふれる彼らしい取り組み」と懐かしむ。

 当時の生徒で、父の体験を聞き取った浜本晃臣さん(62)らと共に10日、大和ミュージアム(呉市)へ1冊を寄せる。世羅さんは「どんなことが起きていたのか、なぜ起きてしまったのか。時代背景を含め、リアリティーが感じられる資料」と、公的機関での活用を願う。

呉空襲
 呉市への空襲は1945年3~7月に計14回にわたった。6月22日には呉海軍工廠(こうしょう)、7月1日から翌日未明には市街地が、それぞれ大規模な空襲を受けた。約2千人の市民が死亡したとされる。

(2019年8月8日朝刊掲載)

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