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反戦画家の柿手春三しのぶ 教え子、三良坂平和展出品 18点寄せる

 反戦画家として知られる柿手春三(三次市三良坂町出身、1909~93年)に三次高等女学校(現三次高)で学んだ画家熊谷睦子さん(88)=広島市西区=が、柿手の故郷にある三良坂平和美術館で開催中の「平和展」に作品18点を寄せた。柿手と自分の絵が隣り合って展示される中、「平和を求める信念を貫いた人だった」とあらためて恩師との思い出を振り返っている。(石川昌義)

 20代の頃、東京で前衛芸術家と親交を深めた柿手は40年に帰郷し翌年、三次高女の美術教師の職を得た。庄原町(現庄原市)出身の熊谷さんは、43年に同校へ入学した。「男の教員は丸刈りだった戦時中も、柿手先生だけは長髪。『どこへ行くにもスケッチブックを忘れるな』が口癖だった」

 敗戦後、新制高校3年の学級担任が柿手だった。「田舎育ちの女学生に文化を教えてくれた」。戦後、東京から訪れた柿手の知人が演劇や音楽の催しを次々と開いた。

 卒業後、熊谷さんは広島市の専門学校に進学したが、同市内の街角で偶然、柿手に出会った。当時、教職員組合の役員だった柿手に誘われた熊谷さんは組合機関誌の編集者に。四国五郎、下村仁一、増田勉…。組合の事務所は、後に広島平和美術展の中心メンバーとなる画家のたまり場だった。「絵の具を溶く水を運んだり、絵筆を洗ったり…。ずいぶんと手伝いをしました」

 熊谷さんが本格的に絵画に取り組んだのは70年代半ば。教員を退職した柿手が暮らす船越町(現広島市安芸区)のアトリエで絵を学んだ。「海田湾を眺めながらレコードを聴いて、気さくにおしゃべりして。ぜいたくな時間でした」。柿手がリードした海田湾埋め立て反対運動にも関わった。

 柿手との親交は晩年まで続き、臨終にも立ち会った。平和展に寄せた油絵は、恩師の作品の隣に並ぶ。「タッチや構図も、知らず知らずのうちに影響を受けていますね」とほほ笑んだ。

 熊谷さんのほか、広島市在住の画家千馬弘子さん(中区)、原田幹子さん(西区)、好永良子さん(同)の作品と柿手の作品計78点を集めた平和展は25日まで。月曜休館。同館☎0824(44)3214。

(2019年8月19日朝刊掲載)

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