×

ニュース

南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈

 広島で被爆した「南方特別留学生」が終戦間もない時期に書いた手紙やはがきを、栗原明子さん(93)=広島市安佐北区=が原爆資料館(中区)に寄贈した。いずれも、被爆後1週間をともに過ごした栗原さんに宛てたもの。同館は今春、南方特別留学生の写真を本館展示に加えたが、実物資料の所蔵はこれが初めて。

 手紙は「昭和廿年八月廿七日」(1945年8月27日)の日付で、ブルネイ出身の広島文理科大(現広島大)留学生、故ペンギラン・ユソフ氏が帰国前に滞在した京都でしたためた。被爆後の避難生活を「楽しいと共に苦しい」「あのおそろしい原子爆弾で(中略)私達の命だけで助ったのは誠にありがたい(原文)」と振り返る。

 はがきは、マレーシア出身の故アブドル・ラザク氏が同年9月に東京で投函(とうかん)。同郷のサイド・オマール氏が京都滞在中に息絶えたと伝え、「原子爆弾の影響に違ひない」と悔やむ。

 南方特別留学生は「大東亜共栄圏」建設を掲げた日本の国策により東南アジア各地から派遣された若者で、広島文理科大には9人が在籍。うち8人が被爆し2人が犠牲になった。

 栗原さんは、被爆前の留学生たちを捉えた写真6枚も併せて同館に託した。末永く保存されることを願いながら「若い人に見てもらい、戦争と核兵器はなくすべきだと感じてほしい」と話していた。(山本祐司)

(2019年9月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ