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連載・特集

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <9> ダブリン大で

図書館 充実ぶりに驚く

 広島商科大(現広島修道大)時代に初めて本を出しました。知人から頼まれ、フレデリック・ドリアンの「演奏の歴史」を共訳。音楽之友社から出て、版を重ねました。呉の教会で、聖歌隊の指揮者として培った音楽の知識が役立ったと思います。

 福井大時代には、イェイツの詩業について集中的に論文を書きました。彼の生誕100年に当たる1965年に日本イェイツ協会ができ、私も創立時から参加しました。

  ≪67年、母校の広島大へ教養部助教授として着任≫

 呉の実家から通いました。当時は大学紛争の激しい時代でした。全共闘の学生がヘルメット姿で教室に入ってきて、勝手な演説を始めます。構わず出欠の点呼をし、毅然(きぜん)と対応したつもりですが、そんな学生も結婚の報告をしてくれるなど、どこか信頼関係もあったように思います。

 72年、イェイツ協会の大会を広島大で引き受け、アイルランドの上院議員だったイェイツの令息マイケル氏を招きます。この時はさすがに何かあってはいけないと、広島市西区にあったノートルダム清心女子短大に会場を移し、開催にこぎ着けました。

 教養部は74年、総合科学部に改組されます。新しい学部でアイルランドの地域研究も深めました。

 ≪76年、文部省(当時)の在外研究員としてダブリン大に≫

 ダブリン郊外にあるイェイツの長女アンさん宅を訪ね、父から継いだ蔵書を見せていただきました。日本関係の本が多いのにあらためて感心しました。イェイツは、禅の思想を海外に紹介した仏教学者の鈴木大拙と親交があり、能にも見識が深かった。それは彼の演劇作品などに生かされ、ノーベル文学賞受賞にも貢献しました。

 ダブリン大では、図書館の充実ぶりに驚きました。15、16世紀からの古文書を保管、整理し、作家の草稿やメモ書きも集めている。客員教授の資格もあったので自由に出入りでき、イェイツの直筆資料を読み込みました。図書館業務は実に創造的な仕事なんだと痛感した。在外研究は半年足らずの短いものでしたが、後に広島大図書館長になった際、とても役に立ちました。

(2019年8月10日朝刊掲載)

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <1> 学びの道

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <2> 軍人の子

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <3> 大和の記憶

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <4> 日米開戦

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <5> 父との別れ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <6> 焼け跡で

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <7> 高校教師に

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <8> 研究者の道へ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <10> 詩人の魂

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <11> ヒロシマへ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <12> 大学への期待

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