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連載・特集

ローマ法王 被爆地で何を語る 11月24日 広島・長崎訪問

 ローマ法王フランシスコが11月24日、広島と長崎の両被爆地を訪れる。法王の訪問は、1981年2月に広島で「平和アピール」を発したヨハネ・パウロ2世以来で、現法王が被爆地でどんなメッセージを発するのかに注目が集まる。核兵器廃絶を訴え、世界のカトリック信者たちから大きな信頼を集めるフランシスコが被爆地を訪れる意義は何か。38年前の法王訪問を知る関係者やゆかりの人の証言から探る。(明知隼二)

イエズス会 レンゾ日本管区長に聞く

核兵器は戦争や暴力の象徴

 イエズス会日本管区のデ・ルカ・レンゾ管区長(56)は法王フランシスコと同じアルゼンチン出身で、直接指導を受けたことから人柄にも詳しい。法王が核兵器廃絶に高い関心を持っている背景や、被爆地を今回訪れる意義を聞いた。

  ―法王は2013年の就任以来、繰り返し核兵器廃絶を訴えています。
 核兵器は市民や子どもを無差別に殺し、自然環境まで破壊する。戦争や暴力の象徴として考えているのだと思う。教皇(法王)が配る(原爆投下後の長崎で撮られたとされる)「焼き場に立つ少年」の写真もそうだ。小さな弟の遺体を背負って火葬の順番を待つ兄は、おそらく生涯、弟の死を背負っただろう。悲惨な遺体の写真よりも、原爆の非道さが分かる写真だ。

  ―戦争や暴力への強い関心の源は何でしょうか。
 もちろん「平和」はカトリックの基本だが、アルゼンチンの軍事政権(1976~83年)下で、イエズス会の管区長を務めた経験も影響しているのではないか。(政権による弾圧で3万人以上の死者・行方不明者を出した)内乱のような状況で、貧しい人たちの支援をした神父が拉致されたり、命を落としたりした。

 後に被害者から政権に対して「もっとやれることがあった」との批判を受けた。しかし正解がない中、良心に基づきでき得る限りの行動をしたはずだ。一つ言えるのは、最悪の状況下では「正しさ」などなくなり、全ての人が悲劇に巻き込まれるということ。戦争や核兵器もそうだ。平和を訴える教皇の言葉は、生の体験に裏付けられている。

  ―今、被爆地を訪れる意義をどう考えますか。
 核兵器廃絶だけではなく戦争そのものを否定するとの意味を込めた訪問になるだろう。ヨハネ・パウロ2世のメッセージのように、被爆地広島だからこそ語れる言葉を期待し、待ちたい。訪問を単なるイベントに終わらせず、メッセージを受け止めて行動につなげられるかも大切だ。

  ―1983~85年にアルゼンチンのサン・ミゲル市の神学院で、院長だった法王(当時は神父)から直接指導を受けたそうですね。どのような人物ですか。
 当時は20歳前後の神学生約100人の指導を統括する立場で、普通なら学生と接することはない。しかし教皇はあえて台所に立ったり相談役を引き受けたりして、一人一人と話す機会をつくろうとする人だった。

  ―どんな指導でしたか。
 「教会で待たず、会いに行きなさい」と指導され、私たちは週末、近隣の貧しい地域に出向いた。食事を提供し、聖書を教える中で、地域の人たちの暮らしから多くを学んだ。教皇自身も司教時代、スラム街にテントを張り、ミサや結婚式をしていたと聞く。積極的に外国を訪れる今の姿勢にも通じている。

 1963年、アルゼンチン生まれ。81年にイエズス会に入会し、フランシスコ法王(当時はホルヘ・ベルゴリオ神父)が院長を務める神学院に学んだ。85年に来日し、96年に司祭として長崎へ赴任。日本二十六聖人記念館(長崎市)の館長を経て、17年から現職。

前回訪問は81年 「平和アピール」 強烈な印象

被爆者「温かさ感じ、涙がこぼれた」

 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」。1981年2月25日、雪がちらつく平和記念公園(広島市中区)に、ヨハネ・パウロ2世の「平和アピール」が響いた。アピール冒頭は、練習を重ねてきたという日本語で読み上げられ、集まった約2万5千人の市民と信者に強烈な印象を残した。

 「温かさを感じ、自然と涙がこぼれた」。被爆者で信徒の服部節子さん(88)=中区=はこの日、身元不明の約7万の遺骨が眠る原爆供養塔の前にいた。遺骨も見つからなかった父保田義登さんが眠ると信じ、何度となく祈りをささげてきた場所。父にも届いているだろうか。そう思いながら、法王の声に聞き入った。

 戦後にカトリック教会と出会い、原爆の犠牲者のために祈ることを支えとしてきた。法王の訪問の後、父を失った自らの体験や、あの日見た炎に包まれた広島の様子を修学旅行生に語り始めた。「平和を訴え続けなさいと教皇(法王)が励ましてくれた。きっと今回も、そんな訪問になるでしょう」と期待する。

 ヨハネ・パウロ2世の広島滞在は6時間ほど。その間に平和アピールの発表、原爆資料館の見学、特別講演会と分刻みのスケジュールをこなした。欧米ではその一挙手一投足が注目されるローマ法王。広島訪問には同行記者団約50人を含め、海外メディアの記者約200人が集った。

 広報担当としてメディア対応に当たった斉藤真仁神父(78)は「対応に追われ、あまり周りを見る余裕もなかった」と苦笑いする。それでも、市公会堂(現広島国際会議場)に設けられたプレスセンターで、各国の記者が「素晴らしいアピールだった」と言い合っていた様子を覚えている。

 幟町教会の世界平和記念聖堂にも県内外の信者3千人以上が詰めかけ、庭まであふれた。法王の訪問以後、広島でのカトリック教会への認知も大きく広がった。「広島の神父として、戦争に反対する役割への自覚も強まった」。原爆犠牲者のため、毎年8月6日にミサを営む司祭として、礎となる体験でもあった。

 市国際交流課の課長補佐として受け入れ準備に奔走した藤井正一さん(81)=中区=は、欧米メディアの注目に加え、9カ国語でアピールを発した法王の姿勢にも「被爆地からの国際的な発信の重要性を見せつけられた」と振り返る。以来20年、アジア大会招致や平和宣言の翻訳に関わる中で、常に意識してきたという。

 核兵器廃絶を巡る国際情勢は今、米ロの核軍縮が後退するなど厳しさを増す。「核の惨劇はどこでも起こり得る。二度と起こしてはいけない。この被爆地の必死の思いを、法王に伝えられるかが問われる」と藤井さん。今年11月24日夕、法王フランシスコは広島の原爆慰霊碑を訪れ、被爆者たちとの集いに参加する見通しとなっている。

平和アピール骨子

 ◆戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。
 ◆広島訪問を希望したのは、過去を振り返ることが将来への責任を担うことだと確信しているからです。
 ◆あの一瞬に生命を奪われた多くの男女や子どもたちを考える時、私は頭を垂れざるを得ません。身体と精神に死の種を宿し、長い間生き延び、ついに破滅へと向かった人々を思う時も同様の気持ちに打たれます。この地で始まった人間の苦しみは終わっていません。
 ◆核兵器は力の均衡を保つためとする人もいます。しかし核兵器の脅威を防ぐため、国家や個人の果たすべき役割を考えずに済ますことは許されません。
 ◆世界の核兵器はますます増え、破壊力も増しています。ごく一部が使われただけでも戦争は悲惨なものとなります。
 ◆広島を考えることは核戦争を拒否することです。
 ◆戦争は「不可避でも必然でもない」と自らに言い聞かせねばなりません。
 ◆過去の過ちを繰り返してはなりません。険しく困難だが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものです。
 ◆各国指導者は、紛争解決の手段として戦争は許されないと決意し、軍縮と全ての核兵器の破棄を約束しようではありませんか。
 ◆全世界の全ての人々は再び戦争のないよう力を尽くそうではありませんか。全世界の若者は、武器の支配するところに平和をもたらそうではありませんか。
 ◆神よ、世界にあなたの「永遠の平和」を与えてください。

平和アピールの原文はこちら

カトリック教会の最高位 ローマ法王

 ローマ法王は、ローマ・カトリック教会の最高位に位置し、キリストの代理人として世界中に信者を抱えるカトリック教会を指導する。イタリア・ローマ市内にある世界最小の独立国バチカンの元首でもあり、宗教指導者と国家元首の二つの顔を持つ。

 法王フランシスコは、前任のベネディクト16世の退位を受け、2013年3月に枢機卿団によるコンクラーベと呼ばれる選挙で法王に選ばれた。中南米出身、イエズス会出身で初の法王で、率直な語り口や人柄で絶大な人気を誇る。「空飛ぶ聖座」と呼ばれたヨハネ・パウロ2世と同じく、精力的な外交姿勢でも知られる。繰り返し核兵器廃絶を訴え、バチカンは17年に国連で採択された核兵器禁止条約を批准している。

 前バチカン大使(13~16年)で、東京外国語大学長アドバイザーの長崎輝章氏(67)は、米国とキューバの歴史的な国交回復の仲介などを例に「法王の力は、世俗的な利益を超えて国際世論を導く『モラルパワー』にある」と指摘する。

 広島市や広島県は、法王の被爆地訪問を求めてきた。長崎氏は「法王が被爆地で発する核兵器廃絶のメッセージは、保有国やその国内世論にとって、無視できない重い意味を持つだろう」としている。

ローマ・カトリック教会
 ローマ法王を最高指導者とするカトリック教会の一つで、世界約12億人の信者がいるとされる。枢機卿は法王に次ぐ高位聖職者で世界に213人いる。世界には約2500の教会(司教区)があり、それぞれ司教が責任者を務める。日本には広島を含め16の司教区がある。このほか、共同生活を送りながら教育や奉仕活動などをする多様な修道会組織がある。現法王の出身修道会でもあるイエズス会は、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルらが創設した。

(2019年9月23日朝刊掲載)

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