×

社説・コラム

『潮流』 物言わぬ歴史の証人

■論説主幹 宮崎智三

 天気のいい日は、朝食前に自宅近くの旭山神社まで散歩する。石段を200ほど上って境内にたどり着くと、一気に視界が広がる。広島市の中心部が見下ろせるが、そこに、この街が74年前に味わった苦難の痕跡を見いだすのは難しい。

 境内の隅には、原爆で神社が受けた被害の説明板が掲げられている。<爆風で拝殿は倒壊した。影にあった本殿は無事だった…>。

 爆心地から3キロ弱のこの辺りで何が起きたか、あの日に思いをはせることができる。説明を読んだ後は、本殿に向けるまなざしが変わったようにさえ感じた。

 被爆に耐えた建物は街中にもある。老舗デパート福屋の八丁堀本店もその一つ。原爆の閃光(せんこう)を浴びた外壁のタイル展示を今月始めた。後に原爆の放射線量調査にも使われた。歴史を伝える資料といえよう。

 新店舗を建設中の広島アンデルセンは、旧店舗から切り出した被爆当時の外壁を建て替え後も活用する。おととい、新店舗への取り付け作業が行われた。

 被爆者のいなくなる時代が近づく中、保存費用の負担に耐えて民間が被爆の痕跡を残そうと努めている例である。では広島市や広島県はどうしているのか。

 市が所有する広島大旧理学部1号館は、一部を保存して新たな平和研究拠点をつくる構想が進んでいる。広島大平和センターと市立大広島平和研究所の移転が既に決まった。

 県が大半を所有する旧陸軍被服支廠(ししょう)は、活用策が揺れている。被爆証言を聞く建物の敷地内新設を柱とする計画が昨年示された。しかし重い財政負担に県議会から疑問が出て方針転換。市内最大級の被爆建物であり、県民の理解を得ながら活用策やスケジュールの具体化を急ぐ必要があろう。

 物言わぬ歴史の証人に語らせるのは、今生きる者の責任だ。神社の石段を下りながら、そう考えた。

(2019年10月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ