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連載・特集

法王 被爆地へ <上> 人間のしわざ 平和アピール 今も胸に

不戦訴える言葉期待

 ローマ法王フランシスコの広島訪問まで、24日で1カ月となる。法王が被爆地を訪れるのは、平和記念公園(広島市中区)で「平和アピール」を発したヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり。核を巡る国際情勢が悪化する中、現法王は何を語るのか。核兵器廃絶を後押しするメッセージに期待する被爆者たちを追った。(明知隼二)

 「よくぞ言ってくださった」。カトリック信者の森谷富士子さん(83)=南区=は、被爆36年の1981年2月に法王が広島で語った言葉を今も大切にする。戦争は人間のしわざです―。平和記念公園を出て病室に寄り、テレビ中継を見ていた母の波田延枝さんとともに言葉をかみしめた。「本当にその通りね」。病院前を通って空港へ向かう法王の車列を窓から見送った。

 45年8月6日、河原町(現中区)の自宅で被爆した。神崎国民学校(現神崎小)3年だった森谷さんは、現北広島町の学童疎開先から戻っていた。光ったと思った瞬間、建物の下敷きに。必死にはい出し、けがをした姉静子さんを背負う母と、炎の中を逃れた。

兄の死 口閉ざす

 2人は兄であり、息子である広島市立中(現基町高)1年の波田賢二さんを捜す。爆心地から約800メートルの小網町(現中区)で建物疎開作業に動員されていた。延枝さんは一度だけの手記(77年)に、捜し当てた時の再会をこう記した。「全身大やけどでみる影もない様です。私の顔を見るとお母さん会いたかったとだきつきましたが、もう目がよく見えないと言いました」。夜通しで看病した翌朝、息を引き取った。

 延枝さんは姉妹を知人宅に預け、1人で賢二さんを火葬した。「遺品も残さずに焼いた。残せばもう、立ち上がれないと思ったのでしょう」。森谷さんは母の胸中を測る。

 母と娘は、被爆の記憶について口を閉ざした。延枝さんは戦争で夫を失った母親たちのため母子寮の設立などに奔走し、市連合母子会(現市母子寡婦福祉連合会)の会長も務めた。森谷さんは娘の就園を機に信仰に出合い、教会で路上生活者の支援などに尽くした。

「救うのも人間」

 広島を訪れた法王の平和アピールを聞いた2年後、延枝さんは83歳で亡くなった。最期の日々、せきを切ったように被爆の記憶を語った。「母にとり、あの言葉は救いだったのかもしれません」と森谷さん。戦争を起こすのが人間なら、救うのも人間だと―。

 森谷さんもまた、今回の来日を機に「長く生きた者の務め」と初めて取材に応じた。今月中旬、兄が被爆した川辺を記者と訪れた。「優しい兄でした。戦争さえなければとの思いは今も消えません」。あらためて原爆の理不尽さが胸にこみ上げる。現法王には「貧しい人に尽くしてこられた方。庶民の目線で戦争を否定し、平和を訴える言葉を聞きたい」と期待する。

(2019年10月24日朝刊掲載)

法王 被爆地へ <中> 石碑 刻んだ言葉に再び光を 平和願う心受け継ぐ

法王 被爆地へ <下> 核廃絶の訴え 禁止条約 後押しを期待 保有国・日本に問いを

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