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社説・コラム

『潮流』 サーローさんと新聞

■ヒロシマ平和メディアセンター長 吉原圭介

 「ちゅーピーと、ジュニアライターってどう違うの」。そう尋ねられて一瞬、同僚記者と顔を見合わせた。質問の主は、長くカナダで暮らす広島市出身の被爆者サーロー節子さん。一昨年のノーベル平和賞授賞式で、核兵器禁止条約の実現に貢献した国際NGOを代表してスピーチをした。驚いたのは、今の中国新聞にそれほど詳しいと想像していなかったからだ。

 サーローさんは自伝「光に向かって這(は)っていけ 核なき世界を追い求めて」(岩波書店刊)の出版を記念し先週末、中国新聞ホールで講演した。冒頭の質問は、本紙のジュニアライターと呼ぶ中高生記者の取材を受けたときの一こまだ。ちゅーピーは記者ではなく、マスコットキャラクターだと説明した。

 この夏に出た自伝には新聞社が何度も登場する。

 サーローさんは被爆から3年後、高校2年のとき「民主国家になったから女性の声を発信する場を」と広島女学院高校新聞の創刊を発案。とはいえ作り方が分からない。そこで中国新聞に通って取材やレイアウトの基本などを勉強した。

 講演でも、当時の社屋はまだ被爆したビルだったことに触れ「入るのがちょっと怖かった。後ろを振り返りながら階段を上がった」と逸話を語った。

 詳しくは18日の朝刊特集に譲るが、投書欄で「原爆文学というものはあるのか」「原爆慰霊碑の碑文をどう読むか」などについて激しい議論があったことを高く評価。戦後の民主主義の定着や、復興期のコミュニティーづくりに新聞が果たした役割を強調した。

 カナダでは今、2紙を購読している。インターネットで本紙の記事も毎日読んでいるという。ジュニアライターに「あなたたちの記事も時々読んでるのよ」。優しく声を掛けた。民主主義の担い手のバトンを託すかのように。

(2019年11月14日朝刊掲載)

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