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連載・特集

核兵器は人類の問題 サーロー節子さん 広島で出版講演 詳報

 広島市出身の被爆者サーロー節子さん(87)=カナダ・トロント=が自伝「光に向かって這(は)っていけ 核なき世界を追い求めて」(岩波書店)の出版を記念して中国新聞ホール(広島市中区土橋町)で講演した。13歳の時に爆心地から1・8キロで被爆した体験から、2年前に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))」を代表してノーベル平和賞授賞式で演説するまでの歩みを、約540人に向けて語った。共著者の金崎由美記者を交えた質疑応答では、被爆地に期待する役割にも話が及んだ。

生き残った者として使命感/禁止条約参加訴えてほしい

 このたびは思いがけない帰国となった。皇居・宮殿であった「即位礼正殿の儀」に、カナダ在住日系人の団体から指名され、代表の一人として招かれたためだ。

 海外で60年間、原爆により犠牲になった親族計9人や女学院の学友351人らの苦しみを胸に、ヒロシマを伝えてきた。

 4歳だったおい、その母である姉は焼けた肉の塊のようになり、「水、水」と言いながら息絶えた。現在の広島駅北口から広がる一帯に、数多くの死体が転がっていた。その記憶を、何千回と話してきた。思い出したくない。途中で投げ出したくもなる。でも、生き残った者としての使命感を持って前に進んだ。

 私の人生の転機は1954年。広島女学院大を卒業し、米国の大学に留学した時のことだった。

 その年、マーシャル諸島で米国が巨大な水爆実験を行っていた。米国に着いた私は現地メディアの取材を受け、批判を口にすると翌日から「日本に帰れ」などと脅す手紙が来るようになった。口を閉ざすべきなのか。悩んだ末、罪のない子や高齢者もたった一発の爆弾で皆殺しにされてしまうのを目撃した者として、語り続けると決めた。

 結婚してカナダで子育て中だった74年、北米ではあまりに皆がヒロシマ、ナガサキについて無関心・無知であると痛感し、本格的に動き始めた。「反核」を私の人生の中心に据え、行動し続けると決心した。個人の被爆体験を語るだけでなく、相手に深く伝わる議論ができるよう、懸命に学んだ。過去の原爆被害にとどまらず、現在と将来の人類の問題なのだと知ってもらいたかった。

 「真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本」「原爆が日本を降伏させ、戦争を終わらせた」―。北米でヒロシマを語ると、さまざまな反発や厳しい問いを浴びせられる。

 私は「日本軍の行いは間違っていた。ただ、軍人軍属の戦闘と、市民の無差別大量虐殺である原爆被害を同列にすべきでない」と答える。日本が無条件降伏するまでの経緯についても議論し、ソ連の満州(現中国東北部)侵攻などの複数の要因があると説明する。しかし米国では、自国の原爆使用を巡る歴史の「神話」が今も根強く信じられているのが現実だ。

 よく「米国人のことをまだ怒っているか」とも聞かれる。そのような時「原爆開発計画を知っていた人はわずかだったから、市民に対して怒ることはできない」と語る。同時に、原爆使用を最終決定したトルーマン大統領たちは人類に対する罪を犯したと私は考える。怒りを忘れてはならないし、当然の感情だ。私はその怒りを前進する力に変え、核兵器廃絶へと行動するエネルギーにしてきた。

 移民国家のカナダや米国は、中国や韓国の出身者が多く「原爆の日は、自由を取り戻した日」と言われる。われわれは被害者であると同時に加害者でもあった、と素直に口にすることなしに、語り合いはできない。そのようなプロセスを通してこそ、和解への道が開けるのではないだろうか。

 9カ国の核武装国は依然として、核軍縮の約束をちっとも守ろうとしない。そんな中で、核兵器を「軍事上の必要性」からではなく「人道上の問題」として議論しよう、という動きが世界で強まっていった。2017年7月、核兵器禁止条約が国連で採択され、ICANはその年のノーベル平和賞を受賞した。

 「禁止」から「廃絶」へと進まなければならない。条約の発効には50カ国の批准が必要だが、まだ33カ国にとどまる。日本政府は被爆者の訴えに耳を傾けず、核の威力で守ってもらおうと米国に追従している。怒りが収まらない。被爆国としてあまりに無責任だ。一人でも多くの人が、自国に条約参加を訴えてほしい。

質疑応答

ヒロシマがリーダーシップを/廃絶を迫り続けることが大切

  ―今回出版した自伝は、昨年夏に本紙で連載したサーローさんの半生記「生きて」がベースになっています。トロントの自宅に赴いてインタビューし、国際電話で原稿の一字一句の表現について議論しながら完成させました。そんな作業の中で知ったのですが、サーローさんは中国新聞と深い縁がありますね。
 終戦間もない高校生の頃「民主主義国家になり言論の自由があるのだから、女性の声を発信しよう」と私が発案して広島女学院高校新聞を創刊した。被爆していた当時の中国新聞の社屋に通い、紙面整理や取材の方法を教えてもらった。本当にお世話になった。

 新聞紙上では、読者の投稿欄などで多様な論争が繰り広げられていた。たとえば原爆慰霊碑の刻まれた文言「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を巡り「主語がない。誰の過ちなのか」との批判と、それに対する反論が掲載された。市民が皆で真剣に考え合う場は、地域社会に大きな役割を果たしたと思う。

  ―来場者があらかじめ寄せた質問を取り上げます。最初は「日本政府を動かすために広島から何ができるか」です。
 日本の条約参加は、被爆者だけでなく市民の願い。原爆の日に市長が読み上げる平和宣言で、力強く発言してほしい。市民も生の声を世界に届けてほしい。市が政府と同じ意見である必要はない。ヒロシマの道徳的・政治的なリーダーシップを世界は求めている。

  ―90歳の被爆者からの質問です。「核兵器廃絶はいつ頃実現すると思いますか。その日を見届け、亡き友に報告したい」と。
 思いはよく分かる。しかし「禁止」から「廃絶」までには時間がかかる。「いつ頃」と断定することはできない。同時に「われわれが生きている間に」と迫り続けることは大切だ。

  ―今回、皇居を訪れてどんな感想を持ちましたか。
 厳かな式典があり、建築物や景色も大変美しかった。そこで私は、意外にも数年前にドイツを訪れた時に見たものを思い出した。

 ベルリンの中心地に2711もの石碑が立っていた。「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)記念碑」だという。ああ、これがドイツの過去との向き合い方なのか、と感じたのだった。

 日本はどうしてきただろうか、と日本の真ん中で思い起こした。皆さんにもぜひ考えてほしい。

  ―日本の若い人についてどう考えていますか、という問いも届いています。
 時折「今の若い人たちは戦争や平和のことを真剣に考えない」と聞くが、違うと思う。ICANも、30代の素晴らしい若者たちを中心に、条約という大きな成果を上げた。大人がきっかけを示せば、若い人は自分の道を見つけて進んでいく。誰もが大きな可能性を秘めている。それを伸ばす大人の責任は重い。

 ―最後に一言。
 読み、考え、語るだけでなく行動してほしい。今、大事なことは核兵器禁止条約の発効で、あと17カ国の批准が必要だ。日本政府が正面からこの課題に取り組むよう、市民が働き掛けてほしい。それが民主主義国家の姿ではないか。

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ジュニアライターの声

 中国新聞ジュニアライター7人も講演を聞きました。終了後にサーローさんを取材し、若者に期待することなどを質問しました。

次は私が勇気を持つ

 約60年間の活動の中で、証言をやめようと考えた時があると聞き驚きました。原爆は無差別に人を殺し、身体や心を苦しめ続けるのです。必死に訴えるサーローさんから力をもらいました。今度は私が勇気を持って被爆者の生の声を世界に届けたいです。(高2庄野愛梨)

積極的に核軍縮学ぶ

 被爆体験や考えを伝えるだけでなく、世界の核状況などを多角的に学び、伝えている姿勢を見習おうと思いました。私も全世界の人命に関わる核軍縮の問題について積極的に学び、核兵器廃絶のために自分から行動していきたいです。(高1風呂橋由里)

学校の勉強も頑張る

 サーローさんは、核兵器の問題に自分のこととして関心を持ってほしいとの願いから被爆体験を話すようになったそうです。「世界の問題の多くが政治で解決できる。若者には政治を理解するため勉強してほしい」と話していました。学校の勉強も頑張ります。(中1山瀬ちひろ)

(2019年11月18日朝刊掲載)

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