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社説・コラム

『この人』 広島で被爆 イエズス会元日本管区長の神父 粟本昭夫さん

 ローマ法王フランシスコは日本到着の翌24日、長崎から広島を巡り核兵器に対するメッセージを発する。

 「教皇は思っていることをおっしゃるでしょう」。イエズス会員らが住むSJハウスで来訪を待つ。26日、東京・上智大構内にある聖堂でミサを、ハウスで朝食を共にする。アルゼンチン生まれの法王は同会出身でもある。自らは進んで話すことはないという原爆体験も穏やかに語った。

 1945年8月6日は爆心地から約1・9キロ、現広島市西区の三篠小そばにあった姉宅の縁側にいた。「ピカッと光ったと思ったら吹き飛ばされていました」。広島大工学部の前身、工業専門学校1年生だった。

 母校は倒壊したが延焼を免れた。在校生らと残骸をまきにして売り、再建資金に充てた。勉強どころではなかった復興期にキリスト教に触れ、イエズス会が市郊外で戦前から営む長束修練院へ通う。被爆したドイツ人神父から洗礼を受け、決まっていた就職先を辞退して神父を志した。

 「人間が本来あるべき状態になる、『救い』とは何かを考えました。原爆で人が死んでいくのが当たり前の世界を見たこともあったでしょうね」と顧みた。

 洗礼3年後に入会が認められラテン語、哲学、神学を修め、62年に司祭叙階。神戸・六甲学院で化学を教え、校長を務めた。82年からは日本管区長を4年間担った。明治末期の宣教師再渡来からの「日本のイエズス会史」の刊行も率いた。

 両被爆地を81年に訪れたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の言葉「戦争は人間のしわざです」を挙げ、こうも述べた。「平和は、ことなかれとは違います。この世に『悪』がある限り闘うことも要ると思います」(西本雅実)

(2019年11月22日朝刊掲載)

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