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社説・コラム

社説 教皇の被爆地での訴え 核兵器廃絶 共に歩もう

 核軍拡の暗雲が世界を覆いつつある中、心強い光を投げ掛けてくれたと言えよう。

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(法王)がきのう、二つの被爆地を相次いで訪れ、核兵器廃絶を訴えた。

 教皇は広島で「大勢の人が、その夢と希望が一瞬の閃光(せんこう)と炎によって跡形もなく消された」と述べ、原爆が悲劇的な結末をもたらしたことを強調した。その上で核兵器のない世界に向け「私たちは共に歩むように求められている」と団結を説いた。

 同教会は世界の人口の2割近い約13億人の信者を持つ。教皇自身、インターネットを通じた情報発信に熱心で、九つの言語によるツイッターのフォロワー(読者)は計5千万人に迫り、影響力は大きい。罪のない子どもや女性たちが数多く犠牲となった広島、長崎から発した、核廃絶への行動を呼び掛ける訴えは大勢の人の心に響くはずだ。

 教皇の被爆地訪問は1981年以来38年ぶり、2度目となった。前回のヨハネ・パウロ2世は「戦争は人間のしわざです」「広島を考えることは核戦争を拒否することです」と述べた。核や戦争を断罪する言葉は信者かどうかにかかわらず、国内外に強いインパクトを与えた。

 今回の被爆地訪問は、フランシスコ教皇自身の願いでもあった。核兵器廃絶への思い入れが強く、2013年の就任以来、繰り返し訴えている。14年には「広島と長崎から人類は何も学んでいない」と核軍縮が進まない状況を批判した。

 核兵器禁止条約も強く支持してきた。17年夏に採択されるとバチカンはいち早く批准した。元首でもある教皇の意向が反映されたに違いない。

 今回の演説でも核兵器の使用はもちろん、保有や威嚇も「ノー」と明言した。その立場は、あと17カ国・地域の批准で発効する禁止条約と共通する。互いに核でにらみ合い、「恐怖の均衡」を保つ核抑止論の全面否定でもあり、広島や長崎の被爆者の思いとも重なっている。

 教皇は「不退転の決意」として核軍縮と核拡散防止に関する主要な国際法にのっとって迅速に行動する考えを示した。その一つの禁止条約の早期発効に弾みをつけるきっかけにしたい。

 ただ米国とロシア、中国などの核兵器保有国は禁止条約には否定的だ。核なき世界を求める声に耳を傾けないばかりか、小型核開発などを進めている。

 名指しこそしなかったが、教皇はこうした国々の姿勢を非難した。最新鋭の兵器を製造しながら平和について話すことなど、どうしてできるのか、と。米国に追随する形で禁止条約に背を向け続ける日本政府も、態度を改めるべきではないか。

 一部の国の指導者がいかに核兵器に固執しようとも、核なき世界はあらゆる場所で数えきれないほどの人が熱望している。まさに教皇が強調した通りだろう。胸に刻んでおきたい。

 現在と将来の世代が、被爆地で起きた悲劇を忘れるようなことがあってはならない、とも訴えた。核兵器が何をもたらすか広島、長崎の記憶は人類全体のためにあるということだろう。

 今回の教皇訪問を機に、被爆地の果たすべき役割を思い起こしたい。核も戦争もない世界という同じ理想を掲げる人々と共に、私たちが歩むために。

(2019年11月25日朝刊掲載)

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