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核廃絶 決意新たに 厳粛で温か 51分間の滞在

 「声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない。兵器のごう音はもういらない。こんな苦しみはもういらない」―。24日、人類初の被爆の地・広島市を訪れたローマ教皇(法王)フランシスコは、直接的で力強いメッセージを発信した。平和記念公園(中区)での滞在は51分と短時間だったが、原爆による惨禍を伝え続け、核兵器廃絶を実現しようとアピール。市民や被爆者たちは教皇の言葉をかみしめた。

 「平和のための集い」が開かれた平和記念公園。午後6時43分、暗闇の中にライトで照らされた教皇が姿を見せると、厳粛な空気に包まれた。

 教皇は、集まった宗教者の代表19人と被爆者20人の一人一人と言葉を交わし、原爆慰霊碑に献花。その場で約1分間黙想し、さらに参加者全員と原爆犠牲者への祈りをささげた。

 被爆者の一人として教皇と握手した安佐南区の竹岡智佐子さん(91)は「『被爆体験を20年以上語ってきた』と話しかけると、にっこりとほほ笑みを返してくれた」と、手のぬくもりを思い返した。

 被爆者の証言を険しい表情で聞き入った教皇。原爆ドームと原爆慰霊碑を背にした約14分間のスピーチでは「記憶し、共に歩み、守ること。この三つには、平和となる真の道を切り開く力がある」と述べ、広島で起きた被爆の記憶を人類の記憶として継承する大切さを強調した。宗教や民族の違いを超えて互いを尊重し、二度と悲劇を繰り返さないよう行動することを全ての人に求めた。

 会場で耳を傾けた高野山真言宗薬師寺住職の猪智喜さん(52)=安佐南区=は「立場は違えど、祈る気持ちは同じ。僧侶として人間として少しずつ訴えかけていきたい」と誓った。

 教皇は2013年の就任以来、核兵器の非人道性を何度も訴えてきた。14年には世界各地で核兵器の脅威が強まっていることに懸念を示し、広島や長崎の被爆の歴史から「人類は何も学んでいない」と批判した。

 17年に核兵器禁止条約が国連で採択されると、バチカンはいち早く批准した。核兵器廃絶への強い思いはこの日、戦争のための原子力使用を「犯罪」と断じる強烈な言葉で表現した。

 アルゼンチン出身の教皇は常に弱い立場、貧しい人の声に耳を傾けてきた人でもある。今も歴代教皇が住んだ豪華な住居ではなく、質素な宿舎で生活する。スピーチでは戦後も厳しい生活を強いられた外国人被爆者の存在にも触れ「貧しい人々はいつの時代も憎しみと対立の無防備な犠牲者だ。声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたい」と訴えた。

 目の前で言葉を聞いた広島県朝鮮人被爆者協議会理事長の金(キム)鎮湖(ジノ)さん(73)=西区=は「犠牲者は日本人だけではないと発信してくれた。核兵器の非人道性の訴えが国際社会に届いたはず。私たちも行動し続けなくては」と力を込めた。

 教皇はスピーチの後、再び被爆者に向けて手を合わせた。参加者の温かい拍手とともに午後7時34分、会場を後にした。

(2019年11月25日朝刊掲載)

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