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教皇の足跡 <上> 「戦争に使用は犯罪」 被爆者の思い 代弁

 被爆地の長崎、広島両市を24日に相次いで訪れたローマ教皇(法王)フランシスコ。平和記念公園(広島市中区)であった集いでは原爆慰霊碑を背に、全ての人間に対して核兵器廃絶に向けた行動を求めるメッセージを発信した。被爆地広島はどう受け止めたのか。現実的な核軍縮のプロセスにどう生かすべきなのか。38年ぶりの教皇訪問の意義を考える。(明知隼二)

 24日夜。慰霊碑の前で加藤文子さん(89)=安佐南区=は、招待された被爆者の一人として教皇を迎えた。「私はカトリックの被爆者で、90歳になります」。英語でそう伝えるうち自然と涙があふれた。教皇はそっと額を寄せ、肩を抱いた。

 祇園高等女学校4年のとき、15歳で被爆。自身は爆心地から約1・4キロの広島逓信局で助かったが、爆心のほぼ真下の広島郵便局にいた友人たちを含め、同校では80人を超える生徒と教員が命を落とした。戦後に洗礼を受け、「生かされた私には伝える責務がある」と証言を重ねてきた。

 背中を押したのは、1981年に広島を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世の「戦争は人間のしわざ」との言葉だった。そして2度目の今回、教皇は戦争のための原子力使用を「犯罪以外の何ものでもない」と断じた。「力をいただいた」と加藤さん。与えられた命を、残された人生を、友人のため全うすると誓った。

 被爆者の記憶をつなぎ、核兵器の違法性を訴える―。被爆者たちが長らく取り組んできたことだ。日本国内では55年、被爆者たちが米国の原爆投下の違法性を訴え、日本政府に損害賠償を求める「原爆裁判」を起こした。東京地裁は63年、賠償請求を退ける一方、原爆投下は国際法に違反するとの判決を下した。

 国際的にも96年、国際司法裁判所(ICJ)が勧告的意見を出した。「国家存亡に関わる自衛目的の場合は違法か合法か判断できない」としつつも、「一般的に国際法違反」とした。この意見は、核兵器の製造や保有も禁じる核兵器禁止条約の基礎ともなった。

 こうした被爆者たちの側から、教皇は政治指導者に核兵器の保有や使用を否定する言葉を突き付けた。市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)の森滝春子共同代表(80)は「ここまで言い切れる人はいなかった。世界をリードしようとする強い思いを感じた」とした。

 しかし今、被爆者の訴えに逆行した国際情勢にある。「代弁してもらいありがたい、で終わらせてはいけない」と森滝さん。被爆地の取り組みは十分なのか、との問い掛けにも聞こえた。「平和を語るだけで行動しなければ、次世代に裁かれるとまで言っている。私たちは、この鋭い投げ掛けを受け止められるでしょうか」と問うた。

(2019年11月26日朝刊掲載)

教皇の足跡 <下> 「核軍縮の枠組み 崩壊の危機」 指導者の姿勢ただす

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