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県「2棟解体」市「3棟保存」 国、一貫して保存に後ろ向き 広島被服支廠 協議内容が判明

 広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の保存・活用策で、所有する3棟のうち「2棟解体、1棟の外観保存」を説く広島県と、「3棟保存」を主張する市が、国を交えた協議で激しいつばぜり合いをしていたことが19日、中国新聞の情報公開請求で分かった。1棟を持つ国が一貫して保存に後ろ向きなことも明らかとなった。

 開示されたのは県、市、中国財務局の3者が被服支廠の保存・活用策を探る研究会と作業部会の協議録。2016年9月からことし11月22日まで非公開で開いた計12回分で、計238ページに及ぶ。協議は被爆者の高齢化が進む中、「被爆建物の役割が重要になっている」として始まった。

 直近の11月22日は、研究会が中区の広島国際会議場で催された。県は、ブロック塀が倒れて小学4年女児が亡くなった18年6月の大阪府北部地震を受けて、安全対策を最優先にすると表明。2棟を解体・撤去する案を示した。

 これに市は「全てを残してほしい。失われてしまうと二度と取り戻せない」などと猛反発した。安全対策の必要性には理解を示しながらも「まずは現物保存をお願いしたい。原爆ドームでさえ、かつては存廃議論があった」と、3棟保存を譲らなかった。

 協議で県は「市で被服支廠を持っていただくわけにはいきませんかと言わざるを得なくなる」とも提案した。市は「第一義的には所有者に保存していただくべきものだ」などと指摘。保存に必要な財源の確保を巡り、県が市に応分の負担を求める場面もあった。

 財務局は、県が解体に踏み切った場合には同調して「解体撤去する」方針を明言。財務局として活用する意思も「考え方にはない」として、距離を置いた。

 県は、建物の解体を「苦渋の選択」としている。実際、18年6月の作業部会では県が、湯崎英彦知事のスタンスを「3棟全て保存したいとの思い」だと明かしていた。湯崎知事は今月3日の記者会見では「県財政の影響も考慮し、ふさわしい保存の在り方を検討していく」と語っている。(樋口浩二)

「安全」「証人」 深い溝 被服支廠3者協議録 広島県、市に「譲渡提案」も

 広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の保存・活用を巡り、中国新聞の情報公開請求で19日に開示された広島県、広島市、中国財務局による3年余りの協議の記録。県は活用の前提となる耐震化について、巨額な費用をひねり出す妙案が浮かばない中、「苦渋の選択」として「2棟解体、1棟の外観保存」を示した。市は一貫して「3棟保存」を主張する一方、建物の引き取りなどの主体的な関与とは距離を置く。両者の溝の深さが浮き彫りとなった。(樋口浩二)

 協議録には、11月22日に中区の広島国際会議場であった研究会の内幕が克明に記されていた。「価値は将来にわたって残していく。1棟保存、2棟解体の考え方に理解をいただきたい」。4棟のうち3棟を持つ県の木村洋財務部長は、築106年の被爆建物の解体を含む安全対策の原案を初めて市と財務局に伝えた。

 木村部長は、小学4年の女児がブロック塀の倒壊で亡くなった2018年6月の大阪府北部地震を引き合いに、地震による倒壊などの危険性を強調。「老朽化が進む建物をこのまま放置できない」として、価値を認める建物を壊す「苦渋の選択」に理解を求めた。

 被服支廠を巡り、県は17年8月、平和の尊さを発信する施策を重視する湯崎英彦知事の下で、建物の耐震性の調査に着手。06年以降は棚上げしてきた活用策の検討にかじを切った。

 その結果、1棟の耐震化だけで33億円かかると判明した。国の費用負担が見込める文化財の指定も探ったが、「現時点では見通せない」(県幹部)との考えに傾き、「解体やむなし」のムードが広がっていた。

 一方の広島市。市平和推進課の中川治昭被爆体験継承担当課長は、研究会の場で繰り返し異を唱えた。被爆建物は被爆の実態を将来に伝える「もの言わぬ証人」であると主張。「解体すれば将来の利活用検討で『3棟必要』となった時、取り返しがつかない」と県に再考を促した。

 原案が市の反発にあった県は、「市で被服支廠を持っていただくわけにはいきませんかとも言わざるを得なくなる」と事実上の「譲渡提案」にまで踏み込んだ。市は「全棟をどうするかが決まり、市、県、国による所有が好ましいという話になれば、3者で運営していくことも考えられる」と回答している。

 松井一実市長は今月18日の記者会見で、3棟全ての保存を求めた。11月22日の協議で中川課長が繰り返した主張の延長上にある。湯崎知事と一定に協調関係を築いてきた中、考えのずれを表面化させた姿勢に、市民には驚きも広がった。

解体方針に同調 南端4号棟所有の国
 国は4棟のうち、南端の4号棟を所有している。県が初めて「2棟解体」の原案を示した11月22日の協議で、中国財務局の吉井正幸特別国有財産管理官は「大規模な改修や耐震化は困難だ」と訴えた。仮に県が2棟を解体した場合は「4号棟についても当局の責任において解体撤去することになる」との見解も示した。

 根底にあるのは、解体に踏み切ろうとする県の姿勢に「歩調を合わせて進める」(吉井管理官)スタンスだ。活用されていない財産である以上、多額の投資はできないという考え方は序盤から貫かれており、18年2月の協議では財務局の担当者から「中に入れない建物の活用策はないのでは。議論すべきネタは尽きた」との発言もあった。

 被服支廠はもともと軍服などを製造する国の施設だったが、1952年に県が広島高等師範学校(現広島大)に県有地を提供する代わりに引き取り、「交換」した経緯がある。

<被服支廠を巡る3者のスタンス>

広島県(3棟所有)
・安全対策が早急に必要。大阪府北部地震を踏まえ、倒壊の危険性は放置できない
・「1棟保存、2棟解体」の苦渋の選択に理解を
・優先順位の一番は安全対策。それを置いても守る「平和」があるというのなら市に譲る
・市の支援があれば保存できる規模は大きく変わり得る

広島市(所有なし)
・被爆建物は被爆の事実を伝える「もの言わぬ証人」。解体したら取り返しがつかない
・安全対策の必要性は理解するが、3棟とも外観保存するなどの選択肢はないか
・全棟をどうするかが決まり、市、県、国による所有が好ましいという話になれば、3者で運営していくことも考えられる
・現状は安全対策に必要な金の話でしかなく、被爆建物の保存・継承システムにそぐわない

国(1棟所有)
・安全対策は必要で、県の対応も考慮し、解体撤去することになる
・必要以上の金はかけられず、大規模な改修などは困難
・県や市に有効利用の希望があれば、公用・公共用優先の原則で、検討する
・現時点で国として活用する考えはない

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設。1913年の完成で、爆心地の南東2・7キロにある。13棟あった倉庫のうち4棟がL字形に残り、県が1~3号棟、国が4号棟を所有する。4棟は鉄筋コンクリート・れんが造りの3階建てで、1~3号棟はいずれも延べ5578平方メートル、4号棟は延べ4985平方メートル。戦後、広島大の学生寮や県立広島工業高の校舎、日本通運の倉庫などとして利用されたが、95年以降は使われていない。

(2019年12月20日朝刊掲載)

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