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社説・コラム

社説 沖縄返還の核密約 再持ち込み なぜ認めた

 沖縄の本土復帰の条件として1969年、佐藤栄作首相と米国のニクソン大統領が、有事の際に沖縄への核兵器の再持ち込みを認める密約を結んでいた。

 沖縄返還交渉に関わった元米国政府高官がその後に発言した内容が先日、外務省の公開した外交文書で明らかになった。

 72年の返還後「再び核兵器を持ち込む事態は起こり得ない」と述べていた。密約を結ぶこと自体許されない上、再持ち込みが必要だったのか疑問である。

 沖縄からいったん撤去した核兵器を再び持ち込まなくても、核を搭載したB52戦略爆撃機や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)でカバーできる。そう米政府は考えていたようだ。

 そんな戦略の変更を見極めず米国の言うがままに、日本政府は核密約を結んだのだろうか。早計な判断と批判されても仕方があるまい。

 この文書は、元高官の発言を記した極秘公電である。日米首脳による返還合意の半月後、米国の日本大使館から愛知揆一外相宛てに送られた。

 元高官の名前は、公開された文書では黒塗りだったが、複数の専門家によると核軍縮専門家モートン・ハルペリン氏とみられる。国防次官補代理を務めた後、国家安全保障会議に入り、キッシンジャー大統領補佐官の下、沖縄返還交渉を主導した。

 文書では、返還後の米軍の核運用について「まずオキナワに持ち込み、次にここから発射するような面倒なことはしない」と断言している。

 当時のソ連や中国に対する抑止力は、SLBMなど射程の長い核兵器で保てる。朝鮮戦争が再燃したとしても、韓国に配備した核で対応できるという判断なのだろう。ハルペリン氏は後に、当時の状況を「沖縄の核兵器は核抑止とは関係なくなっていた」と答えている。

 「本土並みの核抜き」返還は沖縄の人々が悲願としていた。交渉の前提となったのは当然であろう。しかも米国政府自身が沖縄への核兵器配備は軍事戦略上必要なくなっていたと考えていた。それは、ハルペリン氏の発言から明らかだろう。

 ではなぜ密約を結んだのか。

 米国が密約に固執した理由について信夫隆司(しのぶ・たかし)日本大教授は「ニクソン大統領にとって軍部を説得するための保証として必要だった」と説明する。元高官も「軍当局が強く撤去に反対したので再び持ち込むことを条件に説得した」と述べている。

 それならば日本政府は米政府を通じて粘り強く、軍部を説得すべきだった。核の再持ち込みを認める必要はなかったのではないか。

 核密約を結ぶ前に、日本政府は、核搭載艦船の寄港を日米安全保障条約上の事前協議の対象にしないとした密約も結んでいた。日本国内への核持ち込みについて、米軍は「肯定も否定もしない」と主張している。つまり実態を知っているのは米国だけだ。これでは、沖縄を含めた国内への核持ち込み疑念は晴れない。

 唯一の被爆国である日本は核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を国是とする。日本政府は改めて、三原則堅持の姿勢を米国に突き付けねばならない。同時に「核の傘」に頼らない安全保障の道を探る必要がある。

(2019年12月30日朝刊掲載)

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