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被爆建物の今 旧陸軍被服支廠/広島大旧理学部1号館

 被爆75年のことし、行政や私たち市民は被爆建物にどう向き合うべきかが問われる。原爆の爆風や熱線に耐え、その被害を今に伝える建物は、被爆者の高齢化が進む中で「物言わぬ証人」としての重要性が増す。一方、老朽化した建物の保存や活用策の決定は、安全性やコスト面を考えると一筋縄ではいかない。広島市内最大級の「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)は存廃の議論が注目され、広島大本部跡地(中区)の旧理学部1号館は一部保存の基本計画が示される見込みで、岐路を迎える。(明知隼二、樋口浩二)

旧陸軍被服支廠

存廃を巡り盛んに議論

 築107年を迎えた広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠」は、住宅や高校がひしめく広島市南区出汐町でひときわ存在感を放つ。巨大な倉庫群はかつて軍服や軍靴を作り、長さ91~105メートルの建物が4棟、L字形に並ぶ。

 広島県は昨年12月、県が所有し南北に並ぶ3棟について「2棟解体、1棟の外観保存」の原案を示した。建物の耐震性がなく「早急な安全対策が必要」と理解を求めたが、市民団体は反発している。

 1995年以降は活用されず、瀬戸内海文化博物館やロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致などの構想も実らなかった。県の調査で1棟の耐震化に33億円かかるとの試算が出て、今回の原案につながった。

 県は最終判断を示すとする2月を前に1月16日まで県民意見を募っている。1棟を持つ国は県の動向を見ながら、解体を視野に入れる。建物の価値や保存費用を踏まえた湯崎英彦知事の判断が当面の焦点となる。

広島大旧理学部1号館

平和研究・教育の拠点に

 広島大本部跡地(中区)にある旧理学部1号館は、広島市が所有する。市と広島大と広島市立大の平和研究機関で、新たに「ヒロシマ平和教育研究機構」(仮称)を設け、平和研究・教育の国際拠点とする構想が動き始めている。

 1931年に広島文理科大本館として建設され、鉄筋3階建て延べ約8500平方メートル。爆心地から約1.4キロで被爆し、外観を残して全焼。49年の広島大開学で理学部1号館となり、同大の東広島市移転に伴い91年に閉鎖した。

 「知の拠点」を掲げる跡地再開発では、自動車展示場など民間施設の開業が先行。その間に建物の劣化は進んだ。市は2017年3月に、E字形の建物のうち正面の棟をI字形に一部保存する方針を決めた。

 18年11月に有識者懇談会で平和研究・教育の拠点とする構想が示された。市は19年度中に基本計画を策定する方針で、研究教育の内容や施設イメージ、整備費用の概算などを盛り込む。

広島諸事・地域再生研究所の石丸紀興代表に聞く

保存へのプロセス重要

 被爆建物の保存ではそのコストや耐震性、活用策など検討すべき課題は多い。元広島大教授で資料集「ヒロシマの被爆建造物は語る」(原爆資料館、1996年)の編さんに携わった、広島諸事・地域再生研究所(中区)の石丸紀興代表(79)に聞いた。

 ―被爆建物を残す意味が問われています。
 被爆建物の価値は、被爆の事実を伝えることだけではない。例えば、被服支廠は戦前に軍の施設、被爆後は臨時の救護所、戦後は大学や民間企業の施設として使われた。時代に応じて活用され、広島に生きる人たちの営みと知恵を刻んできた。そうした過去の記憶や教訓を残すことは、人間の文化的所作と言える。

 ―県は被服支廠に関して安全性を理由に1棟のみ保存の案を示しました。
 大阪府北部地震でブロック塀が倒れた事故に、急に反応した印象だ。安全性が問題なら、構造に詳しい専門家からコンペでアイデアを募ればいい。利用法はワークショップを開いて多くの人の知恵を借りてはどうか。手を尽くしても妙案がなく、最後に知事の責任で解体を決断するなら納得せざるを得ないかもしれない。しかし、議論を尽くしたとはいえないだろう。

 ―広島市は全棟の保存を求めました。ご自身も全棟保存の方策を再検討するよう県に要請しました。
 市は被爆建物の登録や民間への補助を通じ、最低限の保存の取り組みはしてきた。ただ、市自体が「原爆ドームだけあればいい」と考えた時期があった。 市が深く関わる被爆建物でも課題がある。例えば、旧理学部1号館は正面部分だけを残す方針だ。被服支廠は全棟保存を求め、矛盾しているとも言える。過去には本川国民学校(現本川小)の校舎なども、一部だけを残す道を選んだ。費用や保存後の活用との兼ね合いもあるが、被爆建物が持つメッセージは金では買えないことを忘れてはいけない。

 ―被爆建物の議論をどう進めるべきですか。
 東日本大震災後、震災遺構の保存に向き合うことになった東北の自治体は、原爆ドームや被爆建物がいかに保存されたかに関心を寄せている。原爆ドームも、20年にわたる議論を経て保存が決まった。その議論や決定プロセス自体が、被爆地広島が発する重要なメッセージになる。被爆100年、さらにその先を見据えてどう残し、活用するのか。目先の判断ではなく、そうした視点からの検証に耐え得る議論が必要だ。

いしまる・のりおき

 旧満州(中国東北部)生まれ。東京大工学部卒。広島大工学部教授、広島国際大社会環境科学部教授などを経て、2011年から広島諸事・地域再生研究所代表。主な著書に「広島被爆40年史・都市の復興」(共著)など。03年に中国文化賞、07年に日本建築学会賞。

被爆建物の登録制度
 広島市は1993年度、爆心地から5キロ圏内の被爆建物を台帳に登録して管理する制度を始めた。現在は原爆ドーム(中区)をはじめ86件で、うち64件が民間の所有。市は民間所有の被爆建物の保存工事に対し、鉄筋やれんが造りの非木造建築は8千万円、木造建築は3千万円を上限に補助している。

(2020年1月6日朝刊掲載)

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