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社説・コラム

『書評』 岸辺のない海 石原吉郎ノート 郷原宏著 抑留詩人の苦悩の軌跡

 出雲市生まれの著者郷原宏は「伝説の詩人」石原吉郎の謦咳(けいがい)にじかに接している。自ら主宰する詩誌の合評会に、詩人は顔を出してくれた。そして冗舌にも、シベリアに抑留されていた時代の「共食」の作法を、身ぶり手ぶり交えて教えてくれたという。

 抑留者には食料はおろか、食器もろくになかった。そこでは2人一組の「食罐(しょっかん)組」が出来上がり、飯ごうのわずかな薄いかゆや汁をいかに「均等」に分けるかに神経をすり減らす。これが共食であり、いわば互いの不信感を増幅する作法でもあったのだ。

 著者たちは毎度の実演にいささかへきえきしながらも、これぞ、シベリア体験の肝なのだと実感する。石原の言葉を借りれば「立法者のいない掟(おきて)」である。「しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い靱帯(じんたい)であることを、私たちはじつに長い期間を経て学びとったのである」という一文もある。私たちは石原と接した詩人でもある著者によって抑留の本質を知る。

 復員した後には、さらに過酷な仕打ちが待っていた。親は他界していて親族はこう告げた。おまえが「赤」なら付き合えない―。確かにシベリア帰りの中には旧ソ連の共産主義の影響を受けた者もいただろう。だが生きて帰ってきた者への言葉とは思えない。ならば、自分には詩と神学しかない、石原は思った。

 その時、詩人には二つの道が残されていたと著者はみる。一つは「もともと言葉を知らなかった者のごとく沈黙のうちに閉じこもる」。もう一つは「伝達の不可能性を前提にして、いわば『失語』そのものの表現に賭ける」。復員した日本兵の多くが前者だったが、石原は前人未到の世界だった後者を選んだ。

 著者はこうもみる。石原は何も伝えようとしない。戦争体験がそのまま詩になる土壌は思想的にも、方法的にも失われていた。<自転車にのるクラリモンドよ>で始まる有名な詩は、音楽的でありながら「白い記憶」「目をつぶれ」というフレーズが意味深に聞こえるではないか。

 一読しただけでは理解の難しい詩人論ではある。ただ苦悩する石原に対する著者の敬愛の念は伝わってくる。(佐田尾信作・特別論説委員)

未来社・4180円

(2020年2月2日朝刊掲載)

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