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社説・コラム

社説 原爆症 最高裁判決 救済の精神 一体どこへ

 原爆の放射線の影響は、いまだに解明し尽くされていない。被爆から何十年も過ぎて、ある血液の病気の発症率が高いことが科学的に分かったこともある。そんな現実も踏まえた上での司法判断なのだろうか。

 医師による経過観察中の被爆者に対して原爆症と認定しなかった国の処分を巡る3件の訴訟の上告審で、最高裁はきのう、原告3人を原爆症と認めない判決を言い渡した。

 原爆症の認定要件は二つある。病気が放射線の影響であるという「放射線起因性」と、現時点で医療を必要とする「要医療性」だ。

 このうち放射線起因性は、国が6年前に認定基準を改め、一定の条件を満たせば積極的に認められるようになった。長年にわたる訴訟によって原爆症を幅広く認める司法判断が積み重なった結果だ。被爆者に寄り添ってきた司法の姿勢が、行政の重い腰を上げさせたと言える。

 今回の訴訟で争点となったのは、もう一つの認定要件である要医療性だ。これまでは医師の診断書があれば、大半が認定されていた。医師が関わっているのだから医療が必要な状態と判断するのが自然だろう。

 ところが最高裁は、経過観察中の被爆者が原爆症と認められるには「経過観察自体が治療のために不可欠な行為で、積極的な治療行為の一環と評価できる特別な事情が必要だ」との初判断を示した。

 これまでは例えば白内障の場合、医師の処方で点眼をしている被爆者でも被爆距離などの一定の条件を満たせば原爆症と認められるケースがあった。要医療性の今後の認定は、行政の裁量がより強まりかねない。

 最高裁が判断を示したのは、三つの高裁判決が経過観察を「医療が必要な状態」と解釈するか否かで結論が分かれていたためだ。

 同じように原爆に遭った人が急に倒れて息を引き取る。そんな状況を目の当たりにしてきた被爆者が、健康に不安を感じるのは当然ではないか。

 原爆症を定めた被爆者援護法は、前文で「たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした」と記している。

 その法の理念に基づけば、原爆症の認定は「被爆者」として戦後を生きていかなければならなかった人たちの救済が前提になる。どこかで線引きが必要だとしても、積極的に認定していく姿勢が行政にはもちろん、司法にも求められるはずだ。

 被爆者の全国団体である日本被団協と政府は2009年、訴訟の終結に向けて合意書を交わしている。その中には「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図る」との一文がある。どれだけ尊重してきただろうか。

 定期協議は、厚生労働相と被団協などが直接話し合う場だったはずだ。しかし、厚労省が「時間が取れない」などと消極的で年に1回も開かれていない。開催しても、官僚が用意した紙を大臣が読み上げるだけの形式的な場になりつつある。

 年を重ねた被爆者に残された時間は多くはない。最高裁の判決は残念だが、行政がやり残している課題はある。合意を放置することは許されない。

(2020年2月26日朝刊掲載)

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