×

社説・コラム

『記者縦横』 供養塔の人々 忘れない

■ヒロシマ平和メディアセンター 山本祐司

 初めて訪れたのは小学生の時だった。平和学習で平和記念公園(広島市中区)を歩きながら、土を丸く盛った形を不思議に思った。ひんやりとした空気感は伝わってくる。「大切な場所」だと記憶に残った。それが原爆供養塔だった。

 引き取り手のない原爆犠牲者の遺骨「約7万体」が納まっていると言われ、うち814体は名前が分かっている。市が名簿を張り出し、インターネットでも公開して遺族捜しに努めるが、「時の壁」もあり返還はなかなか進まない。

 名簿の存在を広く知ってもらい、遺骨を一体でも多く家族の元へ返せないか。2月の本紙連載「ヒロシマの空白 帰れぬ遺骨」を、そんな思いで取材した。

 多くの人が胸の内を明かしてくれた中で、特に印象深かった言葉がある。「ここに遺骨がある限り、戦争は終わっていない」。渡部和子さん(76)=西区=が原爆供養塔前で、ほうきを持つ手を休め語ってくれた。

 家族や親類13人を失い、供養塔に日々通った故佐伯敏子さんを継いで20年以上、清掃を続ける。原爆犠牲者は皆「人間らしい最期を迎えられなかった」と渡部さん。せめて家族の墓の中で「再会」してほしいと願うが、簡単ではない。

 全員の遺族の元へ返すことは無理だろう。だが、私たちが「帰れぬ遺骨」となった人々の存在を忘れずにいることはできる。供養塔に思いを寄せる人との出会いを重ねるうち、自分の体が動いた。鉢の水を替え、いっぱいに注いでいた。

(2020年3月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ