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社説・コラム

『この人』 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館長を退く 叶真幹さん

 広島市中区の平和記念公園に2002年開館した国の施設は、1945年8月6日から続く原爆死没者で遺族から寄せられた約2万3千人の遺影を、また95年被爆者実態調査からの手記など約14万7千編を収める。市の公益財団広島平和文化センターが運営する。

 館長職を5年間担い今月末に退く。進んで口にはしないが被爆2世でもある。「市職員となって原爆を見つめるようになり、両親の被爆状況も資料を読み込むうちに詳しくなった」。苦笑交じりに顧みた。原爆被害を90年代前半から掘り起こし、被爆地からの発信に私的にも努めてきた。

 広島が政令指定都市となる前年の79年に入庁。その才筆が後の副市長に留まり、市が「被爆50周年記念事業」とした「ヒロシマの被爆建造物は語る」の編さんに当たる。市内の建物約7万6千件の90%以上が焼失・大破された。わずかに残った非木造157(96年刊行時の現存は43)や橋、樹木などを調べ、壊滅前・直後の写真を集めて載せた。各大学研究者と執筆もした。

 さらに、原爆資料館が東館地下に収蔵する当時約1万2千点を嘱託職員と整理し、データベース化を図る。99年に館初の図録「ヒロシマを世界に」に至った。

 本庁に異動後も、被爆建造物を06年に65歳で急逝する写真家井手三千男さんらと調べた。著書「ヒロシマをさがそう」を、東京の出版社は「原爆ドームだけじゃない」との帯を付けて刊行した。

 再燃する旧広島陸軍被服支廠(ししょう)の保存論議をこうみる。「残す規模の問題ではない。原爆で人間はどうなったのか、共感できる伝え方から考えるべきだ」。これからは、井手さんが残した膨大な写真を整理する。西区在住。(西本雅実)

(2020年3月21日朝刊掲載)

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