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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <2> 両親の愛情

「学を与えたい」押し通す

  ≪1936年、島根県との境に近い広島県山内北村(現庄原市川北町)の須川集落。農家の4人きょうだいの末っ子として生まれる≫

 うちは田んぼが4反3畝しかなくてね。村でも下から2、3番目の貧乏だった。ただ亀井家というのは戦国時代は、毛利元就と戦った尼子一族の重臣だったと聞く。明治維新の前、先祖が武芸に入れあげ、浪人を抱えたり道場を造ったりして財を食いつぶしたらしい。

 それでも歴史のある家だから、おやじの素一(そいち)は20代から山内北村の助役を任された。元陸上三段跳び選手のスポーツマンで、顔も二枚目。俺はおやじを尊敬していたんだ。面倒見がよくて、在日の人とか弱者に優しかったからさ。中国から戦後引き揚げてきた満蒙開拓団の世話もした。恩に感じたリーダー格は、ある政党の支援者だったが、後に俺の選挙を支えてくれた。

 ≪山を越えて川北小に通った。わんぱくで有名だったという≫

 通学路に落とし穴を掘ったりして学校でこっぴどく怒られた。大人になって同窓会を開いた時、「亀井君はひどかった」と言われた。きれいな若い女の先生をからかったことだよ。俺はわざと「僕はどうして生まれたの」「先生もそんなことするの」って聞いたの。音楽の授業ではクラス中に「歌うな」と指令を出した。先生は職員室で泣いていたらしい。先生、本当にごめんなさい。

 ≪子どもの頃は両親が寝ている姿を見たことがない、と振り返る≫

 戦後、役場を辞めたおやじは炭袋を編み、おふくろは養蚕で織物をした。当時、俺の服はシルクだったんだぜ。めっぽう弱いから、すぐ破れたけどね。両親はこのままでは子どもが貧困から抜け出せない、教育しかないと考えた。親戚からは「そんなに貧乏なのに、何を考えているんだ」とあきれられた。それでも、頑固だったのは、おふくろの静枝。「私が死んでも子どもたちに学を与えたい。広島の学校に進ませたい」って押し通してくれた。

 ≪昨秋、庄原市の実家。仏壇に手を合わせ、つぶやいた≫

 おふくろは舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)にいじめ抜かれた。おやじは見て見ぬ振り。こら、じいさん、ばあさん。まあ、みんな、あの世では仲良くやってくれ。

(2020年2月5日朝刊掲載)

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