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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <3> 破壊学生と呼ばれて

再出発へ兄を頼り上京

  ≪広島市内の広島大付属中と修道中を受験する≫

 付属の試験は2次の抽選で落ち、受かった修道に進んだ。俺は小学校では悪ガキだったけど、勉強の要領がいいというか、ヤマ勘が働くというか、試験にはなぜか強かった。その後の大学受験も公務員試験もね。広島の学校に出たのは、兄貴と姉貴がいたからさ。

 ≪のちに参院議員となる兄の郁夫さんが広島市内の皆実高で学び、姉の勢津子さんと一緒に住んでいた。3人で肩を寄せ合い暮らす≫

 最初は、小さな貸間に住んでいたんだ。それを近所の大工さんがふびんに思ってか、材木置き場を改造し、ただでいいからと貸してくれた。6畳一間に台所付きだった。

 近くに森本君という野球友達がいてね。彼のおやじは銀行のお偉いさんでね、大豪邸だったよ。俺の方は、それなりに都会暮らしを楽しんでいた。ただね、両親の苦労をすっかり忘れちゃって、勉強にも身が入らない。その揚げ句、学校から放り出されちまうんだから。

 ≪修道高1年の3学期。担任教師から学校を去るよう言い渡される≫

 学校側が、通学定期の発行に必要な証明書の手数料を払えと生徒に言いだした。俺は「授業料を払っているのに未成年への搾取だ」と腹が立ってね。ガリ版で抗議のビラを刷り、1人で校門に立って配ったんだ。そうしたら「亀井は左翼」「破壊学生だ」などとレッテルを貼られちまった。

 担任の先生から言い渡されたよ、退学処分になる前に自分で今後を決めろって。納得いかなかったけど仕方ないから、俺は東京大に進んでいた兄貴に電報を打ったんだ。転校するために東京に行くって。

 ≪東京駅のホームでは、郁夫さんが東京大の友人と待っていた≫

 ホームに降り立ったら、兄貴の隣に立つ男が「なーんだ」って言うわけ。俺の名前から、美少女が来るかと思ったんだって。身勝手な勘違いだよな。ちなみに、その男は後に自民党の衆院議員となる若林正俊(元農相)だよ。

 再出発しようと思った東京だったけど、厳しい現実が待っていたんだ。転校試験に落ちまくるという。

(2020年2月6日朝刊掲載)

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