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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <4> 共学の大泉高時代

モテたいから猛勉強

  ≪修道高を放校処分。1953年、上京して転校試験を受ける≫

 日比谷や九段とか都立高5校ほど受けまくったが、不合格の連続。修道の内申書を開けたら約360人中330番ぐらい。不勉強だから仕方ないけど、修道もげたぐらい履かせろよなあ。最後に受験したのが大泉高(練馬区)。筆記に加え、校長面接があった。記述のテストはうまくいかず俺は訴えた。「もう行くところがありません。心を入れ替え勉強します」。合格にしてくれたのは、名校長と評判だった両角英運先生。俺という人間はこれに限らず、人との出会いに恵まれてるよ。約40年後、運輸大臣になった頃、先生はお亡くなりだったが、ご自宅を訪ねて仏壇に手を合わせた。感謝ですよ。

 ≪暮らし始めたのは東京都中野区の江古田。6畳の貸間だった。≫

 広島時代と同じく、また兄貴の郁夫や、姉の勢津子と一緒さ。なんとか高校2年から再スタートしたわけだが、最初は少し恥ずかしい思いもしたんだよ。

 ≪男子校の修道高から一転、大泉高は共学。転校生は注目された≫

 目もくらむような光景だった。女子が同じ教室にいるなんて。授業では転校生ということで先生からよく当てられた。広島弁の上に、満足に答えられないから、女生徒がキャッキャッ笑うわけ。悔しかったな。それからは俺はもてたい一心で本屋で中学の教科書を買い、一から勉強だよ。成績はぐんぐん上がった。卒業の頃には学年で2、3番だった。

 そういえば、この頃初めてラブレターを書いた。電車が一緒の同級生に。残念ながら恋は実らず。国会議員になってから同窓会でばったり再会した。ご亭主は高校の同級生だとさ。思い出しても淡い青春だよな。

 ≪1浪し東京大文科1類に合格する≫

 大学に受かって帰省した。広島駅で電車の待ち時間があったので、よし修道に寄ってみるかと。校内をぶらぶらしていたら、生物の先生に呼び止められた。おお亀井君じゃないか、今何をしとるんじゃと。「春から東大に行きます」って言っても先生は「冗談を言うな」って。まあ修道時代は勉強しなかったからね。ビラ配りで放校となって東京に出たから道が開けたわけだ。人生って何が起こるか分からんもんだよ。

(2020年2月7日朝刊掲載)

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