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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <10> カメとヒグマ

中川グループの一員に

 衆院議員になった1979年、俺は自民党の福田赳夫元総理が率いる福田派に入った。今も続く清和会(現細田派)だ。縁ができたのは立候補あいさつで地元の永山忠則先生に会った時だな。現役時代に福田派だったから勧められた。俺には派外に馬の合う先輩もいた。福田元総理と兄弟分だった中川一郎先生だよ。

  ≪中川氏は北海道が地盤で農相などを歴任し、保守派の政策集団「青嵐会」の顔役だった。「北海のヒグマ」と呼ばれた≫

 親が北海道の開拓民でね、同じ農家生まれの俺に目を掛けてくれた。80年の解散総選挙では庄原まで来てガンガン歩いて応援してくれた。そんな関係から、俺は派閥横断の中川グループ(自由革新同友会)にも入った。福田派からの完全移籍も考えたんだが、実現しなかった。

 ≪83年、ホテルで中川氏が自ら命を絶つ≫

 亡くなる前、俺はある場所で会った。先生はがっくり肩を落としていた。前年の総裁選で敗れて党内で孤立していたんだ。勝った中曽根康弘首相に干されて入閣もできず、安倍晋太郎先生を候補に立てていた福田派からも足を引っ張ったと恨まれた。本当に惜しい人を亡くした。

 その中曽根先生も昨年11月に亡くなった。弱小派閥の長からトップに上り詰めたのは風を読む力があってこそだ。レーガン米大統領と仲が良く「ロン・ヤス」と蜜月をアピールしたが、対米追従を加速させた感もある。俺は第2次中曽根内閣の85年、運輸政務次官に就き、国鉄民営化に関わる。政務次官就任は当選同期でおそらくビリ。俺らしいだろ。

 ≪86年、自民党内の保守派36人が派閥横断で政策集団「国家基本問題同志会」を結成する≫

 中曽根首相の靖国神社への公式参拝中止などに不満を覚えてのこと。同志会座長の俺をはじめ、癖のある連中ばかりでね。みんな勉強熱心で後に要職に就くんだ。代表幹事の古賀誠は党幹事長に、事務局長の平沼赳夫は経済産業大臣になった。

 党内の主流派は角栄さんの田中派から分裂した経世会(竹下派)になっていく。中曽根政権が終わりを告げ、87年の焦点は次期首相選びだ。俺はその舞台裏を目撃したんだ。

(2020年2月18日朝刊掲載)

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