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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <11> 首相レースの舞台裏

中曽根裁定 前評判覆す

 安倍晋太郎先生は立派な人だった。自民党で俺が属した清和会のプリンス。その息子が今の総理だ。思い浮かぶのは1987年だな。

  ≪中曽根康弘首相が退陣。党総裁選では「中曽根裁定」と呼ばれる後継指名で竹下政権が誕生する≫

 自民党の総務会長の安倍先生と幹事長の竹下登先生、蔵相の宮沢喜一先生が候補だった。「安竹宮」と呼ばれた3人の中で、前評判が高かったのは安倍先生。ただ経世会(竹下派)が台頭していたので、俺は中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴先生を訪ねた。

 元警察庁長官で俺の大先輩。「カミソリ」と呼ばれた切れ者の情勢分析や助言を清和会に持ち帰ったが、みんな既に赤飯を炊いて楽勝ムードさ。中曽根裁定の日、事務所を出る安倍先生は笑顔で一言「はしゃぐなよ」。人が良すぎたんだよ、安倍先生は。リクルート事件による竹下退陣後の跡目争いにも触れよう。俺も結構、暴れ回ったんだ。

 ≪89年、竹下首相の辞意表明を受け、自民党は総務会を開く≫

 竹下先生はキングメーカーとして経世会の宇野宗佑政権をつくろうと考え、自派の橋本龍太郎に総務会を仕切らせようとした。俺や塚原俊平(後の通産相)ら不満分子は、勝手は許さないぞと乗り込んだ。当時の総務会は下っ端議員もわんわん騒げた。橋龍のやつ、「他に誰か候補がいるのかな」って鼻に掛けた言い方をしやがる。ならばと元防衛庁長官の山下元利先生を総裁選に担ごうとしたが、最後は断念された。俺たちは、党執行部はアンフェアだと弾劾演説をして意地を見せた。でもしっぺ返しが待っていた。

 ≪清和会幹部の塩川正十郎氏から事務所に呼び出される≫

 塩川先生がポケットから紙切れを取り出そうとするから俺はぴんときた。派閥を出て行けってことだと。受け取る前に事務所を出た。宇野政権で入閣を望んでいた連中に「いらんことをするな」とにらまれたんだ。塩川先生も官房長官になった。仲が良かった森喜朗(後の首相)が後で教えてくれた。清和会のドンだった福田赳夫先生は「亀井を追い出すな」と言っていたと。晴れて自由の身となったが選挙資金集めに苦労したな。派閥はスポンサーだから。

(2020年2月19日朝刊掲載)

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <1> 官邸の主

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <2> 両親の愛情

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <3> 破壊学生と呼ばれて

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <4> 共学の大泉高時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <5> 東大時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <6> 核兵器反対運動

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <7> 警察キャリア官僚

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <8> 大立ち回りの捜査2課長

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <9> 国政に打って出る

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <10> カメとヒグマ

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <12> 自民党下野

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <13> 橋龍のウインク

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <14> 公共事業削減

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <15> 赤プリ5人組

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <16> 政治とカネ

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <17> 郵政解散

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <18> 政界引退

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <19> KK戦争

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <20> ご意見番

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