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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <14> 公共事業削減

心理戦 党本部を不夜城に

  ≪橋本龍太郎首相が退陣し、小渕恵三政権が発足。翌1999年、亀井さんは自民党三役の政調会長に就く≫

 いまは岸田文雄君(広島1区)が政調会長を務めているな。絶大な力を持つポジションだよ。省庁がどんな政策や法案を持ってきても、党の政務調査会がOKしないと、与党の協議や国会審議のテーブルに上がらないんだから。ただ俺が就任する前は、官僚が出すプランを追認する向きが強かった。こんな悪弊は一刻も早くぶっ壊さないとな。

 ≪自民党本部6階。政調会長室に亀井さんの怒号が響いた≫

 相手は大蔵省の主計局長だった武藤敏郎(現東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長)だ。政治主導に不満をこぼすから、こう諭した。「いいか、おまえらは会社で言えば経理係で、俺は事業部長だ」。口をとがらせる武藤に「出て行け」と言った。政調会長室への出入りを禁止したのに、フロアをうろつくから党職員に「110番しろ」と命じたんだ。

 ≪島根県の中海干拓・本庄工区など、公共事業の見直しに大なたを振るう≫

 大蔵省を出禁にした以上、党で予算案をつくらないといけない。ただ頭が痛かったのは財源だ。ない袖は振れないから、公共事業を精査することにした。社会情勢に合わないダムや干拓などの大型事業はバサッと。もちろん必要な道路工事などは残すが、ゼネコンが利益をむさぼり、地域のためにならない事業は削ろうと決めた。俺の考えを政調会長代理の谷津義男に電話で伝え、こう申し送りをした。党本部での予算編成作業は夜8時以降にやれ、とな。

 ≪亀井さんは永田町から姿を消し、数日後、休養先から電話する≫

 「すごいですよ」と谷津の声は興奮していた。役人の方も、とんでもない数の事業削減案を挙げてきたという。党本部を不夜城にして、夜に作業させたのは理由があるんだ。  公共事業を削られてはたまらんと全国から首長や議員が党本部に押し寄せてくる。ただ彼らも、深夜まで自民党が官僚を呼びつけて徹夜で折衝している光景を目の当たりにすると、あまり無理は言えなくなる。勝負事ってのは心理戦が大事なんだ。

(2020年2月22日朝刊掲載)

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『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <6> 核兵器反対運動

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『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <16> 政治とカネ

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『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <19> KK戦争

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