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連載・特集

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <1>

 1930年の秋、初産の母は緑井村(現広島市安佐南区)の祖父の病院に里帰りして私を産んだ。数年後、軍人の父がソ連に派遣され、母と弟と私の3人は、祖父のもとに身を寄せる。

 当時の緑井は山紫水明の地だった。春の田んぼではレンゲソウの紅色が村々を華やかにつないだ。古川の支流の狭い木の一本橋に立つと、村の女たちが洗い物をする水辺の背後に大樹がそびえ、緑の諧調が水に映って、泰西名画の趣だった。

 一本橋を渡って右に折れれば、古川と合流する三角州に出る。その先端の砂地で、弟と私は泥遊びに余念がなかった。夏となれば水着になってバシャバシャ戯れた。西の空には、中国山地に続く尾根が、紫色に千変万化の弧を描いて私を魅惑した。

 ただしこの楽園には裏面があった。当時はまだ男の赤ん坊が生まれれば歓喜され、女なら失望される時代だった。私は自分が「失望された」と認識していた。万事につけ、「女の子だから」の足かせにつまずいた。男のすべてが「差別者」だと心底深く、憤怒とともにかみしめていた。ウーマンリブの波頭が米国から到達するのは約60年後。私はすでに実質的に「リブ」だった。

 父が帰国して東京・杉並の実家へ戻り、女学校2年の夏、疎開のため再び緑井へ帰った。そして運命の日、<8月6日>が来る。「リブ」と「反核」の2本の脚で、私は人生を歩むことになる。(ほりば・きよこ 詩人・女性史研究者=千葉県)

(2020年4月17日朝刊掲載)

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <2>

緑地帯 堀場清子私を支える2本の脚 <3>

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <4>

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <5>

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <6>

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緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <8>

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