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連載・特集

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <2>

 8月6日午前8時過ぎ、爆心地から北へ約9キロの緑井村(現広島市安佐南区)では、閃光(せんこう)の後、爆風の衝撃まで一息あった。15分ほどで負傷者を満載したトラックが祖父の営む病院に着く。荷台には市の北辺でガラスによる裂傷を負った血まみれの人々。血の匂いにむせた。10歳くらいの、全く無傷の少年が交じっていた。しばらくしてその子が突然、狂いまわるようにして死んだ。診察した祖父がつぶやいた。「これは新型爆弾じゃの」

 2台目のトラックからが、原子の火に焼かれた人々だった。皮膚も衣類もボロボロに下がった人の群。ずる剝げの腕。皮膚の一片もない背中。頭部が巨大に膨らんだ男性は、異様に甲高い声を出した。重傷者を満載したトラックが際限なく続き、病院の床すべて、前庭、ガレージまで、ぎっしりと倒れ伏した。対する医師は祖父一人。治療を待つ間に死者が出る。

 警防団が河原に運び、岸の砂に掘った穴で片っ端から焼いた。名前も分からずに。国民学校に負傷者収容所ができたのさえ3日後。混乱を極めた真夏の炎天下、死体置き場などなかった。

 やけどした人々は水を欲する。ヤカンと湯飲みを手に、私は昼夜走り回った。死にひんした人たちの「傷に悪いから」と言った自制が切なかった。

 「安佐医師会史」に、祖父である今井一の回想記がある。「病院外来入院患者の診療を終えては小学校に通うて診療を継続すること一カ月余に及ぶ。処置した被災者の延人員は三千人にも達しただろう」(詩人・女性史研究者=千葉県)

(2020年4月18日朝刊掲載)

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <1>

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