×

連載・特集

原爆資料館リニューアル1年 <下> 唯一の被爆国

外国人犠牲者に配慮 展示内容「不十分」の声も

 原爆資料館(広島市中区)は昨年4月の本館リニューアルで、新たに外国人被爆者のコーナーを設けた。タイトルは「故郷を離れた地で」。朝鮮半島出身者、東南アジアから広島文理科大(現広島大)へ送られた「南方特別留学生」、ドイツ人神父たちの写真、日記など計16点が並ぶ。

 「被爆したのは日本人だけではない。日本を『唯一の被爆国』とするのはおかしい」。韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部世話人の豊永恵三郎さん(84)=安芸区=は訴える。

創氏改名の名

 コーナーづくりでは、会として韓国原爆被害者協会名誉会長の郭貴勲(カク・キフン)さんに関する展示で協力した。日本が植民地支配した朝鮮半島で徴兵され、配属先の広島で被爆。陳列された軍隊手帳の複製には、創氏改名による「松山忠弘」の名がある。

 広島・長崎両市が79年に刊行した「広島・長崎の原爆災害」では、広島での韓国・朝鮮人の被爆は2万5千~2万8千人と推測されている。東館には軍都広島の歴史や朝鮮半島出身者の動員に触れた展示はあるが、豊永さんには不十分に映る。「日本の政策で『被爆させられた』ことを忘れてはいけない」

 日本政府は「唯一の(戦争)被爆国」を国内外で掲げる。毎年8月6日に営まれる広島市の平和記念式典では、歴代首相が所属政党に関係なくこの言葉を引き、「核兵器のない世界」などをうたってきた。

 昨年春に米ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会でも、日本政府代表が「唯一」と言及。続けて「被爆の実態を伝え続ける被爆者に敬意を表する」と述べている。

 日本政府はその一方で、外国人を含む在外被爆者を長らく、被爆者援護の枠組みの外に置き続けた。韓国人被爆者孫振斗(ソン・ジンドゥ)さんが被爆者健康手帳の交付を求めて1972年に起こした裁判に始まり、被爆者援護を得るための40年以上の法廷闘争を被爆者自身に強いてきた。

北朝鮮触れず

 広島市立大の金栄鎬(キム・ヨンホ)教授(政治学・国際関係)は、原爆詩人の栗原貞子が早くから「唯一の被爆国」との言葉を批判していたことに触れ「被爆地の記憶から何が排除されているのかを意識することが大事だ」と指摘する。新たな展示で、国交のない北朝鮮にいる在朝被爆者に言及していない点を気に掛ける。

 資料館はリニューアルの際、有識者や被爆者による展示内容の検討会議を重ね「今後も必要な改善はしていく」。金教授は「市民からも展示を巡る議論が生まれるといい」と期待する。被爆地の市民として「ヒロシマ」を語る上で、一つ一つの言葉の重みを見つめ直すヒントが、資料館には詰まっている。(明知隼二)

(2020年4月25日朝刊掲載)

関連記事はこちら

「実物重視」高い関心 原爆資料館 リニューアル1年 休館前は入館15%増

原爆資料館リニューアル1年 <上> 遠い「実態」

原爆資料館リニューアル1年 滝川館長に聞く 被爆遺品重視 期待した成果

年別アーカイブ