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連載・特集

継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第2部 島陰の戦争 <2> 加害を見つめる

負の歴史展示 平和発信

「ウサギ島」とは別の顔

 大久野島(竹原市忠海町)の桟橋から宿泊施設「休暇村大久野島」に向かう遊歩道沿いに、れんが調の平屋の建物がある。3月下旬、近くを跳ねるウサギに歓声を上げていた若者たちの1人が、看板を見て口にした。「昔はこの島で毒ガスを造っていたんだ」

 建物は大久野島毒ガス資料館。被害者の団体と自治体でつくる大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会が建設し、寄贈により竹原市が所有する。

防護服や冷却管

 工員が使っていた防護服や、毒ガスを冷却するための陶製の「蛇管」、後遺症に苦しむ被害者の写真など約600点を所蔵。一部を展示している。同時期に親族と訪れた呉高専(呉市)3年の新越典子さん(17)は「たくさんの実物や写真で引きつけられる。今も多くの人が後遺症に苦しんでいると分かった」と話した。

 開館は戦後40年余りを経た1988年。55年に開館した原爆資料館(広島市中区)と比べて時間を要した。日中戦争などで用いられたとされ、加害の歴史でもある毒ガス製造について、言及をタブー視する空気が背景にあったとみられる。

 それに加え、大久野島の歴史に詳しい元竹原市議の脇本茂樹さん(71)は「協議会は当初、医療手当の拡充など援護を得るための活動が中心だった。会員が年齢を重ねたことで資料の保全に意識が向いたのだろう」とみる。

 周辺自治体に加え、地域住民からも寄付を募って建設。当初は協議会が運営を担ったが、会員の高齢化もあり、2009年からは休暇村大久野島が指定管理者になっている。

見学者は大幅増

 市によると、見学者数はこの5年間、年5万~7万人台。10年ほど前まで、おおむね2万人台だったのが大幅に増えた。スタッフの黒崎正則さん(75)によると、島内で繁殖したウサギ目当てで来た人が立ち寄り、初めて毒ガス製造の歴史を知るケースが多いという。「ウサギの島」として国内外で注目を集め、観光人気が高まった影響が思わぬ形で出ている。

 2004年からは、イラン・イラク戦争(1980~88年)で使用された毒ガスの被害者たちによるイランからの訪問も始まり、10回以上を数える。案内を担うNPO法人モースト(広島市東区)の津谷静子理事長(65)は「負の歴史を見つめ、平和の大切さを発信する拠点になっている。その姿勢が素晴らしい」と評価する。(山田祐)

(2020年5月4日朝刊掲載)

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継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第2部 島陰の戦争 <5> 文化遺産として

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