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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <3> 追悼平和祈念館

死没者銘記 まだ一部

海外在住者 進まぬ周知

 被爆50年の前年成立した被爆者援護法に、被爆者団体が強く求めてきた死没者一人一人への「補償」は盛り込まれなかった。その代わりに、前文と41条は「国は、原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記する」と規定する。

 具体化した施策が、追悼施設の建設だった。2002年、平和記念公園(広島市中区)内に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が開館した。市の外郭団体の広島平和文化センターが、国からの委託で運営。翌年、長崎にもできた。

登録2万3789人分

 遺族が申請すれば、死没者の名前のほか、遺影や死亡日・被爆状況などのデータが館内の端末に登録される。1945年8月6日やその直後に命を絶たれた人の遺影もあれば、最近亡くなり、登録されたばかりの被爆者の名前も。3月末現在で2万3789人分。原爆死没者の全体と比べれば、まだごく一部だ。

 端末を繰ると、一つとして同じものはない、家族の悲惨を突きつけられる。

 「生きた証しになればと…」。松本滋恵さん(78)=中区=は14年前、市内で時計店を営んでいた伯父の辻山春夫さん=当時(32)=一家を登録した。辻山さんの妻マス子さん=同(30)と弟彦司さん=同(17)、父友吉さん=同(65)=との4人が全滅した。

 松本さんの手で一家の存在は「空白」とならず、公的記録に刻まれた。では、原爆慰霊碑に納められた市の死没者名簿にも名前はあるだろうか。記者が聞くと松本さんは宙を見つめた。「そういえば…。登録申請をしたのは祈念館だけ」

 市は被爆6年後の51年5月、原爆死没者名簿に載せる名前の情報を募り始めた。毎年追加され、現在31万9186人に上る。中身は非公開だ。

 市はまた、79年度から原爆死没者名簿などの資料を手掛かりに名前を積み上げる「動態調査」を継続。昨年3月末時点で、45年末までの犠牲者数を8万9025人確認しているが、「推計値」である「14万人±1万人」との間には依然開きがある。長崎市も同様で、推計「7万3884人」に対し、確認できたのは3万2054人にとどまる。

 松本さんが確認すると、4人の名前は死没者名簿にあった。とはいえ広島市によると、動態調査に祈念館の登録情報は取り込んでおらず、情報共有はしていない。「大半は、すでに死没者名簿にあると思われる」からだという。

 それでいいのだろうか。現に、原爆死没者名簿には「漏れ」がある。

 京都市の鎌田納さん(75)の父は、応召して配属されていた広島で8月6日に亡くなった。被爆死した記録が京都府の戦没者援護の担当部署に残っていたのに、原爆死没者名簿には入っていなかった。昨年、名簿登載を申請した。

日本各地に資料

 祈念館が持つ情報はもちろん、各都道府県が保管する軍歴などの多様な資料を網羅すれば、犠牲者名の「空白」をもっと埋められるはずだ。一貫して原爆犠牲者数の全容調査を広島市任せにしてきた国が、責任を持って関与することが不可欠だ。

 広島では、日本の植民地だった朝鮮半島の出身者、移民先の米国から帰郷していた人たちが被爆死した。戦後、日本を離れて生きた在外被爆者も少なくない。祈念館の「2万3789人」のうち海外からの登録は143人で、韓国はわずか40人。国による周知不足は否めない。

 「奪われた命の存在を記録に刻むことが、『償い』の第一歩」。日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(88)=埼玉県新座市=は訴える。「名前」の空白は、国の「不作為」の結果でもある、とみる。田中さんは本年度、祈念館の運営方針に意見する有識者委員に就いた。国に行動を迫るつもりだ。(水川恭輔)

(2020年5月21日朝刊掲載)

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