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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <7> 内部被曝

広範囲に「黒い雨」

距離で測れぬ被害

 「真っ黒な雲が山の向こうから流れて来ましてね。夜のようになったんです」。宅地の間に田畑が残る広島市北西部の上安地区(安佐南区)。旧安村だった頃の面影を残す。曽里(旧姓梶)サダ子さん(81)が、爆心地から約9キロで体験した75年前の8月6日の記憶を語ってくれた。

 当時7歳で、安国民学校(現安小)1年生。校庭で草取りをしていると、手元に光が走り「天地がひっくり返る」ようなごう音が響いた。上級生は窓ガラスの破片を浴びた。家に向かって歩き始めると突然の雨。友だちと近くの小屋に駆け込み「ブラウスが真っ黒」と見合った。帰宅すると、ふすまは外れ、なぜか家の周囲に紙くずがたくさん飛来していた。

 広島では原爆がさく裂した直後に上昇気流が発生し、放射能を帯びた微粒子やすすを含む「黒い雨」が広範囲に降った。この雨の意味を、当時の曽里さんが知るはずもなかった。

 10代から体の不調が続いた。体が鉛のように重い。40歳前後から高血圧と貧血がひどく、大腸がんも患った。あの日以来、黒い雨の混じった井戸水や野菜を口に入れていたことも関係しているのではないか―。2002年、隣接する相田地区の住民と「黒い雨の会」を結成した。

長さ19キロ幅11キロ

 国は1976年、被爆直後からの気象台の調査で「雨が降った」という地域のうち、爆心地から長さ19キロ・幅11キロの楕円型の「大雨地域」について援護策を講じた。対象住民は無料で健康診断を受診でき、国が指定する病気になれば被爆者健康手帳を取得できる。だが曽里さんの実家は「大雨地域」から数十メートルはずれた「小雨地域」とされた。

 対象区域の拡大を求めたものの、国は「科学的根拠がない」の一点張り。「線の一歩外が小雨だなんて。国の制度がいいかげん」。会の高齢化が進み、5年前に解散した。体力が落ち、疲れ果て「諦めました」。

 「大雨地域」の外側の一部住民は、集団訴訟を広島地裁に提起した。判決は7月。住民勝訴なら、曽里さんが住む地域も救済される可能性も出てくる。「皆が報われてほしい」と願う。

体内にとどまる

 原爆放射線による健康被害を考える上での基本は、爆心地からの直線距離や、あの瞬間に浴びた初期放射線の量である。これに対して「黒い雨」に遭った人たちは、呼吸や飲食で取り込んだ放射性微粒子や、放射能を帯びた粉じんが体内にとどまり「内部被曝(ひばく)」が起きたと訴える。線量は微弱でも、細胞が局所的に傷つきがんになりやすくなると強調する。

 広島大原爆放射線医科学研究所(南区)で長年研究した大瀧慈名誉教授(69)=生物統計学=は「広島で降ったのは、雨だけでない。放射性微粒子や放射能を帯びた粉じんを包んだ大気がどう移動したのかにも注目すべきだ」と話す。

 「ピカッ」とさく裂した瞬間だけの問題ではない―。大瀧さんは、広島の爆心地から2キロ以内で被爆した人を対象に、後に固形がんで死亡するリスクを高めた主因を調査。直接被爆者でも、飛散した放射性微粒子を吸い込んだ影響を大きく受けていた、という結果を数年前に共同発表した。

 「爆心地からの直線距離で健康被害を推定する考えは、改めないといけない」と大瀧さん。とはいえ、被爆者の被曝量の測定はもはや難しく、その人の染色体異常の量から推定するしかないという。

 内部被曝については、未解明の部分が多い。戦後早い時期から被爆者の疫学調査を続ける放射線影響研究所(南区)などは、蓄積した線量が同じなら人体への影響は外部被曝と変わらないとしており、見解は割れている。

 「ピカッ」で説明できない被害を巡る「空白」。75年前の原爆被害にとどまらない問題でもある。(山本祐司)

(2020年5月28日朝刊掲載)

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