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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <9> 禁止と廃絶

「生き残った者の務め」

背向ける政府に失望

 日本被団協などでつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」の市民7人が、今年に入って東京都内のインドネシアとモンゴルの両大使館を相次ぎ訪れた。2017年に国連で「核兵器禁止条約」が採択されたが、参加国が発効に必要な「50」に達していない。そこで、条約に前向きな国に早期の手続きを促そうとした。

悲惨体験させぬ

 「悲惨な経験を、もう誰にもさせたくないのです」。被爆者の田中稔子さん(81)=広島市東区=が語りかけた。連絡会の一員である非政府組織(NGO)ピースボート(東京)の船旅に参加し、海外各地で体験証言を重ねてきた一人だ。

 田中さんは広島に原爆が落とされる約1週間前まで、爆心地から約700メートル南の水主町(現中区)に住んでいた。現在の原爆資料館本館辺りにあった幼稚園に通い、近所の中島国民学校に入学した。

 被爆したのは、引っ越し先の牛田町(現東区)。爆心地から約2・3キロで、右腕や頭にやけどを負った。若い頃は耐えがたいほどのだるさに悩まされた。結婚して子ども2人を育て上げたが、「わが子の健康を案じ、被爆者は精神的にも一生重荷を背負う」。

 幼稚園と国民学校の同級生の多くが原爆の犠牲になった。母のいとこは、「埋葬しなければ」と焼け跡で拾った肉親の頭部をバケツに入れて逃げてきた。夫の伯父の家族は、一家4人が全滅。今、亡き夫に代わって慰霊を続けている。

 「あの日に命を絶たれた人たちの無念を思うと、じっとしてはいられない。核兵器を禁止し、廃絶することは生き残った者の務め」。日本政府も共に歩んでほしい、と強く願う。

 だが国は、「核兵器廃絶という目標は共有している」と言いながら、「米国の核抑止力の正当性を損なわせる」と禁止条約に背を向けている。条約の制定交渉にも参加しなかった。米国の核兵器が日本にとって今は「必要悪」だと説いているのが実情で、被爆者たちを失望させている。

 日本被団協は84年に発表した「原爆被害者の基本要求」で、原爆被害への国家補償と、核兵器を「絶対悪」として禁止・廃絶するための行動を国に迫った。この二つの柱を強く掲げた背景に、戦争被害は皆で我慢すべきものだとする「受忍論」に、国が依拠していることへの反発があった。

 基本要求は「広島・長崎の犠牲がやむをえないものとされるなら、それは、核戦争を許すことにつながります」と強調する。原爆被害を決して繰り返させないため、二つの訴えは必要不可欠だと位置付けた。

署名1000万筆到達

 日本被団協は「ヒバクシャ国際署名」に16年から取り組み、核兵器禁止条約を全ての国が批准するよう求めている。呼び掛け人に、被爆者運動の初期から活動を続ける日本被団協の岩佐幹三顧問(91)=千葉県船橋市=も名を連ねる。

 75年前のあの日、猛火が迫るわが家の下敷きになった母清子さん=当時(45)=を残して逃げるしかなかった。「よっちゃん」と呼んでかわいがった妹好子さん=同(12)=も、遺骨すら見つかっていない。「家族の死を決して無駄にしない」と街頭に立ち、署名を集めてきた。

 今年1月時点で、集まった署名は約1千万筆。普段は個人で活動する田中さんも協力し、約300筆を集めた。全国の自治体の7割、1232市町村の首長が応じ、与野党の国会議員の一部にも賛同の動きがある。被爆者たちが「最後の力」を振り絞り、輪を広げている。そこに日本政府はいない。

 被爆者たちが死者の無念を胸に刻み、国の責任として求めてきた「償い」と「核兵器廃絶への行動」。いまだ満たされず「空白」が残るまま、被爆者なき時代が近づいている。それでいいのか―。年老いた背中が被爆国の政府、そして私たちに問い掛ける。(水川恭輔、河野揚)

(2020年5月31日朝刊掲載)

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