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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <4> 問い直す

援護の外 見えぬ被害

遠い実態解明 現在の「宿題」

 どのような「原爆被害」が、よく分からないままなのか。現状を把握するとともに、そうなった背景を知ることが、新たな事実に迫る土台となる。取材の中で、被爆者健康手帳を持つ人にとどまらない「被害」が抜け落ち、「空白」になりがちである理不尽さが浮かび上がった。

 厚生労働省で、被爆者援護対策室の担当者に問うた時のことだった。広島市が今も遺骨の遺族を捜していることに関して国の対応を質問すると、「知らなかった」と返答された。

 「ここは生存被爆者の援護、救済をする部署。死没者の遺骨返還を国が支援すべきものでしょうか」とも。

 戦後史をたどれば、生存被爆者の援護に的を絞ろうとする政府の姿勢は、一貫している。

孤児の人数不明

 例えば、学童疎開などで親と離れていた原爆孤児は、被爆者健康手帳を持っていないと何ら援護を受けられなかった。

 被爆者援護の枠外に置かれた人たちは、把握されにくい。原爆孤児は人数もはっきりしていない。学童疎開していた児童の世代はすでに80歳代。今こそ、孤児の苦難の歩みや、失った家族の存在を記録すべきだろう。両親たち家族5人を奪われた久保陽子さん(81)=広島県海田町=は「私のような被害者がいることを知ってほしい」と語る。重い一言だ。

 日本被団協などの被爆者団体は、戦争を遂行した国の責任で、全ての死没者を調査して遺族に補償をするよう長年訴えている。政府は決して進んで動かない。その意図と背景は明確だ。

 「特殊兵器の原爆によって生命や健康に被害を残したことを国家補償の対象にすると、一般の戦災犠牲者にも広がりはしないかと大変恐れていた」。橋本龍太郎厚生相(当時)が1979年、私的諮問機関の有識者会合でこう述べたと、開示資料に記されていた。

世代超え関心を

 戦後75年の今年、東京大空襲などの遺族は、国に救済や実態調査を迫る声を強めている。広島県被団協(坪井直理事長)も、8月6日の平和記念式典に合わせた政府要望の席で、全ての原爆犠牲者・遺族に弔慰を表すよう、あらためて政府に求めるつもりだ。

 原爆や戦争の被害に迫る努力は、将来に持ち越される。世代を超えて関心を持ち続けることが不可欠だ。

 ならば、基礎となる「学び」はどうなっているだろうか。小中高の社会と歴史の教科書78冊に目を通した。現状ではほとんどが、原爆被害に関する説明を2、3行程度にとどめている。

 多くは、45年末までの広島原爆の犠牲者を「約14万人」と記すが、推計値にすぎず、名前が不明の犠牲者が多数いることや、市の死没者調査が今も続くことを説明したくだりはない。

 「原爆の悲惨さは、教科書だけでは分からないのが現実です」。原爆で深い傷を負いながら、高校教員として長年平和教育に携わった森下弘(ひろむ)さん(89)=佐伯区=は強調する。広島、長崎の教職員組合などで74年に平和読本「明日に生きる」を編さん。生徒の声を聞きながら版を重ねた。市が小中高向けに副読本を作り始める前だ。

 森下さんは、旧制中学の同級生を対象に調査を重ね、母校の原爆被害に迫ろうとした当事者でもある。「被爆者の体験証言に加え、客観的な事実を通じて原爆の悲惨さを実感してもらうことが必要です」。未完の「宿題」を提示してこそ、自ら追究を志す若い世代が増えると考える。

 取材班には、「あの日」を知る被爆者からも「14万人という数字を疑ったことはなかった」などと次々に反響があった。解明に遠い原爆被害の実態。現在の問題として問い直したい。(水川恭輔、河野揚、山本祐司)

(2020年6月21日朝刊掲載)

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <1> 市民の手で

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <2> 遺族捜し

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <3> 資料の活用

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <5> 被害実態の発信

ヒロシマの空白 被爆75年 つなぐ責務 <6> 諦めない

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