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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 加藤八千代さんー教師の気遣い 命つなぐ

加藤八千代(かとう・やちよ)さん(91)=広島市西区

市女生の無念 若い人に伝えるため

 広島市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の卒業生、加藤(旧姓富永)八千代さん(91)は、ある教師の決断のおかげで「生き残った」と信じています。「命をもらったのは、若い人に伝えるため」という思いを胸に、市女の被爆体験の継承(けいしょう)に半生をささげてきました。

 1941年4月に入学した加藤さんは、45年春から戦時下に特設された「専攻科」に進学し、連日、動員先の西蟹屋町(現南区)の日本製鋼所で機関砲(きかんほう)の弾(たま)を造る作業をしていました。8月6日は、電力不足のため、月1回工場が稼働(かどう)しない「電休日」でした。

 加藤さんは友達を誘って宮島へ遊びに行くことにしました。朝早く向洋中町(現南区)の自宅を出て、8時すぎに己斐(現広電西広島)駅前で友人を待っていると突然10メートルほど吹き飛ばされ、意識を失いました。

 爆心地から2・5キロ地点ですが、光も爆音も記憶にありません。われに返ると弁当箱やげたが散乱し、一緒にいた下級生の頰(ほお)や肩(かた)にガラス片が刺(さ)さっていました。臨時救護所になった草津国民学校(現草津小)で応急手当てをしてもらった後、火の手を避けながら自宅を目指しました。

 途中、黒いドロドロの雨を浴び、至る所で皮膚が垂れ下がった人や、裸同然の学生、髪の毛が逆立った女性を見かけました。家にたどり着くと、午後8時を回っていました。

 2日後、近所の青崎国民学校(現青崎小)で救護活動をしていた婦人会の人が、同級生の葭本恒子(よしもと・つねこ)さんが収容されていると知らせに来ました。一緒に宮島へ行くはずだった友人の1人です。路面電車の中で、土橋電停付近を通過中に被爆した後、運ばれたのです。

 加藤さんは、葭本さんのお母さんが迎えに来るまで自宅に引き取って看病することにしました。布団に寝かせ、すりおろしたキュウリやつぶしたトマトを食べさせようとしましたが、すぐに吐(は)き戻(もど)してしまいます。後で思えば放射線の影響(えいきょう)だったのか、口の中は、真っ黄色でした。数日後に大八車に乗せられて翠町(現南区)の家に戻った葭本さんは、8月24日ごろに息を引き取りました。

 市女では教職員10人を合わせ、676人が原爆の犠牲になりました。1、2年生541人は現在の平和記念公園(中区)の南側で空襲に備えて防火帯を造る建物疎開作業に動員され、爆心地から約500メートル付近で熱線と爆風を浴びました。全員息絶えたのです。「目玉が飛び出て口は裂け、顔は焼けただれて、判別できたのは10人くらいしかいなかった」。娘を捜し回った遺族の故坂本文子さんたちから聞いた言葉です。

 実は当初「3、4年生と専攻科の学生も、6日は建物疎開に参加させるべきだ」という案も出ていました。しかし、上級生を担当する故沓木良之(くつき・よしゆき)先生が「学徒は疲れている。休ませてやってくれ」と阻止していたのです。「もし、参加していたら私も死んでいた」

 専攻科は終戦とともに無くなり、加藤さんは20歳で結婚。4人の子育てに追われながらも毎年、原爆の日に慰霊祭を手伝ってきました。被爆40年には、坂本さんたちと学籍簿(がくせきぼ)を丹念に調べ、犠牲者の名前を刻んだ銘碑(めいひ)を同窓会で製作し、慰霊碑のそばに立てました。

 90歳を超えた昨年から、舟入高の平和学習で証言を始めました。「みんな一生懸命国のために尽くして死んだ。戦争になれば、私たちの人権はなくなり、すべてが破壊される」―。この夏も、ひ孫世代の「後輩」たちの前に立つ予定です。(桑島美帆)

私たち10代の感想

かけがえない学校生活

 16歳で被爆した加藤さんは私と同世代でした。「少国民」として育てられ、国のために死ぬことが名誉(めいよ)だと思っていたそうです。教育の大切さを語る加藤さんの言葉から、今ある学校生活が、かけがえのないものだと気付きました。私には将来、教育現場で働く夢があります。未来を担う子どもたちの自主性を尊重し、平和な社会をつないでいきたいです。(高3斉藤幸歩)

戦争は大切な人を奪う

 「広島駅から似島が見えたときはこの世も終わりだと思った」と話す加藤さん。地図で調べるとすごく遠くてびっくりしました。亡くなった友達の話をするときの悲しそうな顔を見て、大切な人を奪(うば)う戦争は絶対にいけないとあらためて感じました。戦争をなくすため、一人でも多くの方の話を聞き、感じた事を忠実に書いていこうと思います。(中2山瀬ちひろ)

被爆者の願い次世代へ

 話してほしいと頼まれた加藤さんは「生き残ったのだから話さないといけない」と思ったそうです。私たちにあの日のことを伝えようとする情熱を強く感じました。今回、加藤さんから受け取った願いを次世代へ渡すため、家族や友人に被爆者の証言を話し、戦争と平和について考える小さな努力を続けたいと思います。(中2田口詩乃)

(2020年6月22日朝刊掲載)

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