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被服支廠の声 若者が調べ 広島のコントラバス奏者河口さん 毎週末 見学者を案内

 広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)で、コントラバス奏者の河口悠介さん(23)=中区=が毎週末、見学者を案内している。一部解体案を巡り注目される建物について「多くの人がその歴史を学び、もっと関心を寄せてほしい」との思いを強めている。(新山京子)

 「被爆前は軍服や軍靴を作ったり直したりする施設でした。当時を想像してみてください」。河口さんが、被爆時の地図や建物内部の写真を見せながら見学者に語り掛けた。

 陸軍施設が被爆直後から臨時救護所となり、おびただしい数の負傷者が運び込まれたことや、戦後は民間施設や倉庫などとして使われたことなどを説明する。ガイドは原則、土、日、祝日の午前10時~午後5時。敷地の入り口近くに自転車を止めて立ち、見学者が訪れると声を掛けて説明役を申し出る。2月末に活動を開始。新型コロナウイルスの影響で一時休止したが、すでに地元住民や観光客ら100人以上を案内した。

 河口さんは、佐賀県内の高校からエリザベト音楽大(中区)に進学した。広島の復興とともに歩んだ音楽教室が同大の前身だと知り「音楽で平和の尊さを伝えることが使命と思った」。昨春卒業し、音楽家として平和を題材にした曲の創作に取り組み始めた頃、原爆資料館で県被団協(佐久間邦彦理事長)の関係者と知り合った。昨年9月から県被団協の平和学習講師として修学旅行生らに平和記念公園を案内している。

 被服支廠に注目したのは、県所有の3棟について「2棟解体、1棟の外観保存」の原案が報じられた昨年12月。建物の歴史を調べ、他の被爆建物へと関心を広げる中で「国所有を含めた全4棟と、現存するすべての被爆建物を平和学習の場として残すべきだと考えるようになった」。現地に被服支廠の歩みを伝える詳しい説明文がないことに気付き、活動を決めた。

 保存を求める被爆者や若者らと連携し、市民の関心を高める企画を行いたいという。「この建物が広島にとって将来にわたりどのような意味を持つのか、世代を超えて語り合いたい」

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設。1913年の完成で、爆心地の南東2・7キロにある。4棟がL字形に残り、広島県が1~3号棟、国が4号棟を所有する。県は、建物の劣化が進み、地震による倒壊などで近くの住宅や通行人に危害を及ぼしかねないとして昨年12月に「2棟解体、1棟の外観保存」とする安全対策の原案を公表。本年度に着手する方向だったが、今年2月に先送りを表明した。4号棟については国が、県の検討を踏まえて決めるとしている。

(2020年7月3日朝刊掲載)

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