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社説・コラム

天風録 『絵とは「墨を流すもの」』

 広島市出身の水墨画家丸木位里(いり)には心配ごとがあったようだ。<ただ一つ「原爆の図」を描いたことがよかったか悪かったか、ちっとばかり気がかりだ>。妻で洋画家の俊(とし)の著書に寄せている▲俊と共同制作した「原爆の図」の画家として評価されることに複雑な思いがあったのかもしれない。戦前から革新的な表現を追い求めてきた位里にとって「原爆の図」だけではないのだという自負もあったのだろうか▲三次市の奥田元宋・小由女美術館で開かれている位里の回顧展を訪ね、そんな思いを強くした。若き日は型通りの美人画や花鳥画。やがて紙に落とした墨のにじみに任せたような斬新な作品が生まれていく。美術の決まりごとの枠を超え、創作に挑んだ歩みが伝わってくる▲本人いわく、絵とは描くものではなく「墨を流すもの」なのだそうだ。そんな自由な発想が、本来は「水と油」である二人の水墨画と油絵の世界を溶け合わせ、原爆の悲惨を知らしめる大作を世に送り出したのだろう▲見えないウイルスへの不安にさいなまれ、あれもだめこれもだめと自らをがんじがらめにする生活は続く。天衣無縫な位里の作品が、心の凝りを少し解きほぐしてくれる。

(2020年7月4日朝刊掲載)

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