×

ニュース

戦艦陸奥の鉄 任務は遮蔽材 岩国市柱島沖で謎の爆沈 原発・研究所で重宝

 山口県岩国市柱島沖で戦艦陸奥が謎の爆沈をして8日で70年。現場に近い山口県周防大島町にはことしも遺族が集まり、しめやかに慰霊祭が営まれる。1121人もの犠牲者を出した大惨事。人々の記憶は次第に薄れているが、海中から引き揚げられた陸奥はいまも放射線測定装置の遮蔽(しゃへい)材としてひそかに生き続けている。(久行大輝)

 微量な放射線測定では国内有数の金沢大の低レベル放射能実験施設(石川県能美市)。測定室の奥に積まれた厚さ10センチ、幅20センチ、長さ60センチの鉄のブロックは陸奥の一部だ。

 井上睦夫助教(46)は「見学者に『陸奥』の鉄を使っているのを話すとびっくりされる。しかし、最近は陸奥について知らない人も増えてきた」と話す。

 陸奥の引き揚げは1970年に始まり、78年までに遺骨や遺品とともに船体の75%が海中からよみがえった。周防大島町伊保田の陸奥記念館には遺品などが展示されている。

 特に注目されたのが「陸奥鉄」と呼ばれる船体の鋼鉄。戦艦の装甲の分厚さもあって、陸奥鉄は金沢大など各地の原発や研究所に持ち込まれた。

 溶鉱炉には戦後、炉内の摩耗度合いを調べる放射性物質コバルト60が練り込まれた。このため、戦後の鉄には微量のコバルトが含まれ、放射線の遮蔽材には適さない。

 戦前に生産された陸奥鉄は貴重な存在で、金沢大では放射線測定機器を取り囲むように置かれ、自然界の微量な放射線を完全に遮断する役割を黙々と果たしていた。

 中国地方でも、中国電力島根原発(松江市鹿島町)の放射線測定装置や、広島大病院(広島市南区)の内部被曝(ひばく)を調べる全身測定装置(ホールボディーカウンター)の遮蔽材に利用されている。

 金沢大は、福島第1原発事故後、現場周辺で採取された土や水の測定を続ける。「陸奥鉄のおかげでわずかな放射線も検査できる」と話す井上助教は「かつて戦艦として脚光を浴びた陸奥が別の形でいま、存在感を示していることに不思議さを感じる」と漏らす。

(2013年6月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ