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「黒い雨」訴訟 初の司法判断を前に <上> 妥当性

 原爆投下後に放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びたのに、被爆者健康手帳の交付申請を却下したのは違法などとして、広島市や広島県安芸太田町の70~90代の男女計84人(うち9人は死亡)が、市と広島県に却下処分の取り消しを求めた訴訟の判決が29日、広島地裁で言い渡される。国が援護対象とする「大雨地域」の線引きの妥当性を審査する初の司法判断となる。原告の老いも深まる被爆75年の夏、判決の行方が注目される。(松本輝)

援護対象拡大 原告訴え 国側「科学的根拠なし」

 市中心部の爆心地から市北西部にかけて広がる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円(だえん)形のエリアが、国が定める大雨地域。国の援護が得られるかどうかの境界となる。この線引きを巡り、原告は長く翻弄(ほんろう)されてきた。

 原告は、原爆が投下された1945年8月6日かその直後に黒い雨を浴びるなどし、その後、がんや白内障などを発症した。国が被爆者健康手帳の交付対象とする11疾病に含まれ、手帳の交付を申請したが、大雨地域の周辺の「小雨地域」か、その外側に住んでいたとして却下された。「同じ健康被害を受けているのになぜ…」。納得できない原告たちが2015~18年に順次提訴。初の裁判闘争が始まった。

 国の大雨地域、小雨地域の線引きは、原爆投下直後の45年8~12月に広島管区気象台(現広島地方気象台)の宇田道隆技師たちによる被爆者たちへの聞き取り調査に基づく。被爆者行政の基本理念を議論した国の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)が80年にまとめた意見書も、区域拡大は「科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきだ」と指摘。区域拡大を求める原告の訴えに対し、国は「科学的根拠がない」との姿勢を崩していない。

調査を疑問視

 国の主張に対し、原告の1人で「訴訟を支援する会」事務局長の高東征二さん(79)=佐伯区=は、宇田技師たちの調査に疑問を呈す。「原爆投下直後の混乱の中、数人で実施された調査で、資料が不十分なのは明らか」。呼吸や飲食を通じて放射性物質を体内に取り込んだ場合に起きる内部被曝(ひばく)による健康被害は今も未解明な部分は多い。「75年前の調査を線引きの根拠にし続けるのはおかしい」と強調する。

 一方、国側は「宇田調査は対象者の記憶が新しい時期に実施され、現在の科学的知見を前提としても妥当だ」と反論。基本懇の意見書は適切とし「大雨地域以外の降雨域では、人体の健康に影響を及ぼす程度の高濃度の放射性降下物が含まれていたとはいえず、黒い雨で健康被害が生じたとは認められない」とする。

 高東さんはあの日、観音村(現佐伯区)の自宅で閃光(せんこう)を目にし、薄暗い空から黒い灰が降ってきたと証言する。小学生のころ、脇のリンパ節が腫れ、3度の手術を経験した。国の大雨地域や少雨地域の外で黒い雨や灰を浴びた人が病気に苦しんでいるのを知り、2002年に佐伯区黒い雨の会を結成。事務局長として区内を回って証言を集め、市や国に陳情を重ねた。

「私たちの声」

 だが、区域拡大は認められず、業を煮やして15年11月、集団提訴の原告に名を連ねた。今年1月に高血圧性心疾患と診断され、脳梗塞も患った。「国は私たちの声を聞く気がない」と憤る。

 「私たちの声」―。高東さんがそう呼ぶのが、市と県が08~10年に県内約3万7千人の住民に聞き取った大規模調査だ。この調査が導いた降雨範囲は、国の大雨地域の「約6倍」に及んだ。原告が黒い雨を浴びるなどした地点も含む。「国の援護対象地域はあまりに狭すぎる」。高東さんは司法判断に期待を寄せる。

黒い雨と援護対象区域
 原爆投下直後に降った放射性物質や火災によるすすを含む雨。国は1945年の広島管区気象台の調査を基に長さ約29キロ、幅約15キロの卵形のエリアに降ったと判断。76年、爆心地から広島市北西部にかけてを「大雨地域」として援護対象区域に指定した。国は大雨地域で黒い雨を浴びた住民に無料で健康診断を実施。がんや白内障など国が定める11疾病と診断されれば、被爆者健康手帳が交付され、医療費が原則無料になるなどの援護策が受けられる。

(2020年7月27日朝刊掲載)

「黒い雨」訴訟 初の司法判断を前に <中> ジレンマ

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