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「黒い雨」訴訟 初の司法判断を前に <中> ジレンマ

区域拡大要望 一転「被告」 広島市、立場相反に苦悩

 「黒い雨降雨地域を拡大するよう強く求めます」。広島市の松井一実市長は昨年8月6日、安倍晋三首相も出席した平和記念式典での平和宣言で訴えた。平和宣言で黒い雨に言及するのは2003年の秋葉忠利前市長から続く。

 さらに市は、国が黒い雨の「大雨地域」を援護対象区域に指定した翌年の1977年以降、拡大を求める文書を国に送り続けている。大雨地域の外で黒い雨を浴びたなどと訴える市民に寄り添ってきた。

 しかし、被爆者健康手帳の申請を却下された市民たちが15年11月以降、却下処分の取り消しを求めて提訴。市の立場は一転し、県とともに「被告」となる。

裁量余地なし

 市が担う被爆者健康手帳の審査、交付の事務は、国からの法定受託事務で、市に裁量の余地はない。国が区域拡大の必要性を否定する中、市は国に追従せざるを得ないのが実情だ。「本来の市のスタンスと相反するジレンマ」。元市職員の岡田高旺(たかお)さん(61)は複雑な思いで訴訟を注視する。

 岡田さんは市原爆被害対策部調査課に在籍した08~10年、被爆前後に市や周辺の安芸太田町、北広島町の一部に住んでいた約3万7千人を対象とした原爆体験者等健康意識調査を担当。約900人の面談もした。

 調査では、1565人が黒い雨を体験した時間や場所を具体的に答えた。広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)に所属していた大滝慈(めぐ)名誉教授が回答内容を解析し、市の東側と北東部を除くほぼ全域と周辺部で黒い雨が降ったと結論付けた。国が援護対象とする大雨地域の約6倍。市が国に区域拡大を要望する根拠となり、「大滝雨域」と呼ばれた。

 この調査では、それまで市が被爆者健康手帳の交付申請を却下した市民の協力も仰いだ。それだけに岡田さんの思いは強い。「援護区域の拡大へ、それぞれの立場を超え、質、規模ともにできることは最大限やり尽くした。その自負がある」

国は調査否定

 しかし、国はこの調査結果を否定する。区域の見直しを検討するため、10年に有識者検討会を設置し、9回の会合を重ねたものの、報告書では「(市などの)調査では黒い雨の体験率が50%を超える地域は未指定地域の一部に限られる」「爆心地から20キロ以遠ではデータが少ない」「60年以上前の記憶によっており、正確性を十分明らかにできなかった」などと否定的な表現が並んだ。

 「大雨地域以外でも黒い雨を同じように浴びて健康被害に遭っている人がいる。国の線引きでは説明がつかない」。大滝名誉教授は「大滝雨域」の作成を機に、未解明な部分も多い黒い雨と内部被曝(ひばく)の本格的な研究を進めた。

 大滝名誉教授は「健康被害は『ピカ』の瞬間に出た初期放射線だけでは語れない」と指摘。「『ドン』の衝撃で放射性微粒子が付着した土ぼこりなどが舞い上がり雨風で飛散すれば、爆心地から遠い人でも呼吸や飲食で体内に取り込み、内部被曝する。国はその人体への影響を軽視するべきではない」と唱える。

 「被告」の市が長く求めてきた援護対象区域の拡大につながる判決を―。市の調査に携わった2人は静かにその日を待つ。(松本輝)

広島市の原爆体験者等健康意識調査
 広島県と連携し2008~10年、原爆投下前後に広島市や安芸太田町などに住んでいた約3万7千人を対象に実施。被爆体験や治療中の病気のほか、黒い雨について浴びた体験の有無や場所、降り始めの時刻、雨の強さ、色を聞いた。国が援護対象とする「大雨地域」の外で黒い雨に遭った住民は、心身の健康面が被爆者に匹敵するほど不良と判明。放射性降下物の実態解明が不十分で、健康不安が増している可能性があるとし、健康診断などの対応策を検討する必要があると結論付けた。

(2020年7月28日朝刊掲載)

「黒い雨」訴訟 初の司法判断を前に <上> 妥当性

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