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連載・特集

被爆75年 岐路の被爆者団体 <5> 北海道の資料館

絆深め「ノーモア」発信

 熱線で溶けて変形した湯飲み、被爆者の体内から出てきたガラス片…。広島から約1200キロ離れた札幌市に「あの日」を語る遺品や史料が並ぶ。北海道に住む被爆者たちが建てた「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」だ。被爆地の広島と長崎にある資料館と同様に、原爆の被害の実態を伝え、発信し続けている。

 会館は、北海道被爆者協会(札幌市)が運営している。3階建て延べ約260平方メートルで、約200点を並べる展示室が2階、被爆者が証言する部屋や資料室が3階にある。1階は協会の事務局。外観の頂上には原爆ドーム(広島市中区)を模したオブジェを備える。

資金募り開館

 建物は、協会が募金活動で資金を集め、1991年に開館した。65年から毎年、原爆犠牲者の追悼会を開く中、「被爆者同士でしか口にしにくい話題がある。気兼ねなく語り合う場がほしい」との声が出たのがきっかけだった。

 「会館があったからこそ被爆者と2世、被爆者でない人たちがつながりを深めてこられた」。協会会長の真田保さん(82)=北海道室蘭市=はしみじみと語る。

 真田さんは7歳の時、爆心地から約1・5キロの天満町(現西区)で被爆した。塀の陰で熱線を逃れたが、一緒に遊んでいたいとこは全身やけどで数日後に亡くなった。原爆投下から約2カ月後、家族4人で親戚を頼り北海道に移住した。

 元高校教諭の真田さん。自身が被爆者だと家族以外へ初めて明かしたのは、募金活動への参加がきっかけだった。会館作りに奔走する他の被爆者の姿に「自分も被爆者と強く意識し、何か力になりたいと思うようになった」と振り返る。

 会館の完成を機に、道内で散らばっていた被爆者たちは証言活動や被爆者運動を本格化させていく。盛り上がりは被爆者以外も巻き込んでいった。

 その1人が協会事務局次長の北明(きため)邦雄さん(72)=札幌市=だ。札幌市の高校教諭だった時、熱心に証言を続ける被爆者の姿に感銘を受けた。高校で証言会を開くなど平和教育に力を入れ、会館に何度も通った。退職後、協会の事務を担うようになった。

来館1000人割れ

 道内の被爆者はかつて、約千人を数えた。現在は被爆者健康手帳の所持者が248人で、うち協会員は58人。会館で証言活動をする被爆者は5人に減った。

 年間1100人前後で推移してきた来館者数は、昨年度は929人と初めて千人を割り込んだ。北明さんは「修学旅行の事前学習で訪れる人が減ったり、学校の平和学習の時間が短くなったりしたのが影響している」と危機感を抱く。

 協会は昨年9月、「継承プロジェクト」を始めた。被爆2世たちが2017年5月に結成した「被爆二世プラスの会北海道」と連携し、ホームページの制作に着手。被爆者の証言映像や展示品の紹介など、一部は今月中に先行して公開できるよう準備を進めている。

 子ども向けの絵本も6月末に作った。被爆者の思いや会館の歩みを描き、英訳を付けて2千部を印刷。今月13、14日に道庁ロビーで開いた原爆展では原画を展示した。被爆二世プラスの会北海道のメンバーで、警備員の斎藤哲さん(49)=札幌市=は「被爆者の証言後、会館で読み聞かせを披露したい」と力を込めた。

 被爆証言をはじめとする会館の活動を、いつまで続けられるかは見通せない。それでも真田さんは「北海道の被爆者の思いや歴史が詰まった場所。新しい力に引き継いでもらいたいとの思いは強まっている」と話す。「ノーモア・ヒバクシャ」の思いを共有する人たちの拠点として、存在し続けることを願っている。(新山京子)

(2020年7月29日朝刊掲載)

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