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社説 「黒い雨」 原告全面勝訴 幅広い救済策 国は急げ

 広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を巡る全国初の訴訟で、広島地裁はきのう、原告全面勝訴の判決を出した。

 黒い雨の対象区域として国が定めた線引きを否定。区域外で黒い雨を浴び、放射線による影響が疑われる病気になった原告に、被爆者健康手帳を交付するよう広島市と広島県に命じた。

 黒い雨にさらされ、健康被害を訴える人々の声に耳を貸そうとしない国の不誠実さを突いた司法判断と言えよう。国は、これまでの姿勢を改めて、救済を急がなければならない。

 原告は、広島市や広島県安芸太田町などの70~90代の男女84人。黒い雨を浴び健康被害が生じたのに国の区域外だったことを理由に、手帳の交付申請を却下したのは違法などとして、市と県に処分取り消しや手帳交付を求め、2015年以降順次提訴していた。

 最大の争点は、国の線引きは妥当かどうかだった。区域は、終戦直後に広島地方気象台の技師らが100人余りの住民に実施した聞き取り調査を基に、1976年に定められた。

 区域内で黒い雨を浴びた人たちは「健康診断受診者証」をもらえ、一定の病気になれば手帳が交付された。しかし区域外の住民は救済されなかった。同じような境遇にありながら道や川を隔てただけで被爆者としては扱われないままだった。国の線引きには当初から批判が強く、住民は長く苦しみ続けてきた。

 判決は、この調査について「被爆直後の混乱期に限られた人手で実施された」「調査範囲やデータには限界がある」と指摘。「特に外縁部については非常に乏しい資料しか入手できていない」とまで述べている。これほど厳しく批判される調査に、国はこれ以上あぐらをかき続けることは許されまい。

 88年には、気象庁気象研究所の元研究室長が、黒い雨の降雨地域は従来の4倍の範囲とする調査結果を発表。2010年には、住民アンケートなども交え、国指定区域のほぼ6倍も広いエリアで黒い雨が降ったとの調査結果を市と県がまとめ、国に線引き拡大を求めた。

 にもかかわらず国の腰は重く、線引き見直しの好機を自ら何度も逸してしまった。

 もう一つの争点は、原告は被爆者援護法で定める「被爆者」に当たるかどうかだった。国側は、内部被曝(ひばく)の影響を軽んじた上で、原告が健康に影響が出るほど被曝したことを裏付ける科学的根拠はないと主張した。

 判決は、内部被曝の影響について、外部被曝とは異なる特徴があり得るという知見の存在を念頭に置く必要性を強調。さらに、区域外で黒い雨にさらされた人も、がんや心疾患といった放射線の影響が疑われると国が認める疾病になったことを要件として、被爆者に当たると考えるのが相当とした。原告は実際に、がんや心疾患などを発症している。実態に即し、幅広い救済につながる判断である。

 提訴に踏み切ってから5年。原告の老いは進み、既に16人が亡くなった。残された時間は少ない。国は、黒い雨を巡る初の司法判断の重みを受け止め、控訴しないよう県、市に働き掛けるべきだ。放射線の影響が疑われれば可能な限り救済できる方策を早急に探る必要がある。

(2020年7月30日朝刊掲載)

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