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ピース・シーズ

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第26号) ゴジラと核兵器

人類の未来は変えられる

 1954年11月に公開された「ゴジラ」第1作は、水爆(すいばく)実験による放射線を帯びて凶暴化(きょうぼうか)した生物ゴジラが東京を襲(おそ)うという怪獣(かいじゅう)映画です。しかし、単なる娯楽(ごらく)作品ではありません。反核(はんかく)、反戦の思いも込(こ)められていました。

 「ゴジラ」製作には、米国がマーシャル諸島のビキニ環礁(かんしょう)などで実施(じっし)した水爆実験によって日本の漁船が被曝(ひばく)した第五福竜丸(ふくりゅうまる)・ビキニ事件が影響を及ぼしました。第1作の上映と同じ年にあった出来事です。マグロなどの魚から放射線が検出され、日本でも放射性物質を含(ふく)む雨が降るなどし、人々の不安が高まり、原水爆(げんすいばく)禁止運動が広がっていきました。

 「ゴジラ」の初上映から61年あまりたった今も核兵器はなくなっていません。ゴジラに関わる人たちに話を聞きました。ジュニアライターが自分たちで「ゴジラ」の新ストーリーも作りました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校2年までの45人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

紙面イメージはこちら

人類の未来は変えられる

私たちが考えた新しいストーリー

この物語は、高2岡田春海、二井谷栞、森本芽依、高1山田千秋、中3岩田央、上長者春一、中2平田佳子、増田奈乃佳、中1川岸言織が作りました

1 怪獣誕生

 地中に住んでいた微生物(びせいぶつ)が、とある国の度重なる地下核実験などの影響(えいきょう)を受け、放射性物質を取り込んで巨大(きょだい)な怪獣「ゴジラ」と化した。

2 原発襲撃

 地中に収まりきれなくなったゴジラは地上に現れ、餌(えさ)である放射性物質を食べようと、次々と原子力発電所を襲う。原発が密集する日本や韓国は、ゴジラにとって格好の餌場となってしまった。日韓各地で放射能汚染(おせん)が広がった。

3 フリーズ

 日本と韓国を行き来して原発を食いあさったゴジラはその後、北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イスラエル、フランス、英国、米国、ロシアと、核兵器や原発を食べながら移動。世界各国は協力し、ゴジラを北極海でフリーズさせることになんとか成功した。

4 核の冬…

 ゴジラは凍(こお)って動かなくなったが、原発や核兵器をゴジラに食い散らかされた地域は放射能に汚染されてしまい、地球に「核の冬」の足音が…。

 この物語はフィクションです。被爆者を差別するものではありません。

 国際原子力機関(IAEA)によると、原発は日本に43基(世界で多い方から3番目)、韓国には24基(同6番目)あります(1月7日現在、停止中含む)。ロシア、米国、フランス、中国、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮は、核兵器を保有したり開発を進めたりしているとされる国です。

 「核の冬」は、核爆発(かくばくはつ)による火災などで、ちりなどが空中に上がり、太陽の光が遮(さえぎ)られて気温が大幅(おおはば)に下がる―という、1980年代に示された仮説です。

 核兵器は人間が造りました。それによってゴジラが現れました。核被害の犠牲(ぎせい)になるのは地球全体。人類の判断と行動で、未来は変わるはずです。

第五福竜丸被曝 上映と同じ1954年

■東京の展示館取材

 第五福竜丸展示館(東京)の学芸員安田和也さん(63)は「第五福竜丸が被曝したのと同じ1954年に『ゴジラ』が作られた。映画を見た人は原水爆(げんすいばく)反対の思いを強くしたのではないか」と話します。

 「ゴジラ」の初上映は第五福竜丸・ビキニ事件後の11月。当時の日本では、度重なる米国やソ連の核実験で放射性物質を含(ふく)んだ雨が降り、飲み水や農作物などへの影響(えいきょう)が心配されていました。原水爆は人ごとではなかったのです。こんな時代状況が「ゴジラ」がヒットした理由の一つではないか、と安田さんは説明します。

 第五福竜丸被災(ひさい)後、翌年8月までに原水爆禁止の署名数が3200万を超(こ)え、さらに、広島、長崎の被爆者健康調査実施への理解も広がりました。安田さんは「原爆被爆者へ手を差(さ)し伸(の)べていくことにもつながった」と話します。

 安田さんは、かつて地球上に約7万発あった核兵器が、今は約1万6千発になっている現状も「粘(ねば)り強く、核廃絶を言い続けた結果」と話します。とはいえ「持っていること自体が間違(まちが)っている」とし、「みんなで声を上げ続けるのが大切」と強調します。例えば、オバマ米大統領だけが核廃絶(かくはいぜつ)を主張してもなくなりませんが、米国民みんながなくなってほしい、と言えば廃絶に近づくというわけです。

 「原水爆をなくすためには、まず戦争をなくさなければいけない。そして、原水爆の恐ろしさなどについて十分知っていることをみんなの『常識』にすること」と安田さん。「国民は自分の意見をきちんと示し、国はそれに応える努力が必要」と言います。(高2森本芽依、高1山田千秋)

戦争の怖さ知らぬ国会議員にこの映画を見てほしい

■主演した俳優 宝田明さんに聞く

 第1作の「ゴジラ」に主演した俳優の宝田明さん(81)=写真=に「ゴジラ」への思いを電子メールで聞きました。(中3岩田央)

 ―被爆・終戦から9年後、第五福竜丸・ビキニ事件が起きた中で「ゴジラ」に出演するのは、どんな気持ちでしたか。
 私は戦時中、当時の満州(現中国東北部)ハルビンに住んでいました。終戦と同時に侵入(しんにゅう)してきたソ連軍に、腹部を撃(う)たれ、九死に一生を得た経験があります。戦争の悲惨(ひさん)さをこの身で体験していただけに、「ゴジラ」は単なる怪獣映画でなく、反戦・反核をテーマにした作品でもあると感じました。広島、長崎の被爆、第五福竜丸の事件を経験した日本だからこそ生まれた映画で、当時961万人が見ました。

 ―ゴジラを通して、何を訴(うった)えたかったのですか。
 世界の列強国は競って核兵器を保有していました。環境破壊(かんきょうはかい)や放射線被害などの恐怖もつきまといます。原水爆にどう向き合うのか―。61年前の「ゴジラ」にはそんな問いや訴えを込めました。それが解決されないまま現在も続いています。この状況を私たちは真摯(しんし)に考えなければいけないと思います。

 ―世界から核兵器がなくなっていない状況をどうしたらいいと思いますか。
 第1作の「ゴジラ」を国会で上映し、戦争の恐(おそ)ろしさ、核の脅威(きょうい)を知らない国会議員に見てもらいたい。各学校や、世界各国の議会でも上映会をしては。今も十分通じる大切なメッセージがありますから。これが一つの方法かもしれませんね。

第五福竜丸・ビキニ事件
 米国が繰り返した水爆実験のうち、1954年3月1日から5月14日にかけてマーシャル諸島のビキニ環礁などで6回実施、多くの日本の遠洋マグロ漁船が被曝した。3月1日の実験で第五福竜丸の乗組員23人が被曝。半年後に無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=が「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して亡くなった。5月4日の5回目の実験では、広島や京都、東京など各地で放射性物質を含む雨が降った。基準を超す放射性物質が検出されたマグロなどの魚が大量に廃棄(はいき)された。(高2森本芽依)

(2016年1月28日朝刊掲載)

【編集後記】

 初めて物語のストーリーを考えました。簡単だろうと思っていましたが、ゴジラの行動を考えようとすると、行き詰まってしまいました。しかし、バッドエンドがいいという私の意見が通ったので、うれしかったです。(平田)

 今回一番苦労したのはゴジラのシナリオを考えることでした。物語の中でゴジラは人間に対して危害を加えましたが、「そもそも人間が核を使わなければ、そのようなことは起こらなかった」と考えるうちにゴジラに感情移入してしまい、「倒す」以外の方法を考えていました。広島や長崎の原爆の被害を考えれば、核が生物に大きな影響を及ぼすということは一目瞭然です。核実験などを繰り返していけば、ゴジラが空想の生物ではなくなると思います。(岡田春)

 チームみんなの念願叶って、ゴジラをテーマに掲げたものの、難しかったです。 特に、新ゴジラストーリー。ただの娯楽映画ではなく、反核を訴える作品を、と考える中で、二度とゴジラを出現させないためには人間が滅びるしかないのではないかと思うようになりました。人間次第で地球の行く末が変わります。核を捨てるか、捨てないか。今こそ真剣に考えるべき時です。(二井谷)

 ジュニアライターになって3カ月。今回の、ゴジラの新物語を作るのが一番大変でした。細かい設定から作り始め、そこからどんどん物語を広げていく作業は初めてでした。意見を出し合い、その意見を使ったり使わなかったり、と本当にできるのだろうか?と思いました。物語が完成した時はものすごく達成感がありました。一方、作業の中で、語彙が少なく、漢字を知らない自分に気付きました。この新しい課題を補えるように、これから頑張ります。(増田)

 ゴジラと水爆との深いつながりを学ぶことができました。当時の第五福竜丸の事件があった時代背景とゴジラを重ね合わせることによって、より水爆の恐ろしさを理解でき、より反戦反核の思いが強まりました。ゴジラを2度と生み出さないために、私は映画を通して人々に核廃絶を訴える、という1つのツールを知りました。(山田千)

 私は第五福竜丸展示館に取材に行きました。実際に見た第五福竜丸からは、水爆の恐ろしさと共に、保存に関わった人々の団結力も伝わってきました。これからもっと原水爆について勉強し、自分の意見を持って行動しなければいけないと感じました。また原爆だけではなく、第五福竜丸・ビキニ事件についても語り継いでいく必要があると思いました。(森本芽)

 僕は今回の取材で第一作「ゴジラ」を初めて見ました。時間も忘れて見入ってしまいました。オキシジェン・デストロイヤーは面白かったです。「ゴジラ」には、たくさんの人を惹きつける魅力があるのだと感じました。(岩田央)

 第五福竜丸について今まで聞いたことがありませんでした。ゴジラは、名前は知っていたけれど、どうやって生まれたのか全く知りませんでした。今回、新しく知ることができて良かったです。(川岸織)

 今回は皆で意見を出し合って、ゴジラの新ストーリーを作りました。難しい内容だったので議論が止まってしまうこともありましたが、無事に制作できました。僕たちが作った物語で、ゴジラが新たに生まれない平和な世界を作れれば良いと思います。(上長者)