×

ピース・シーズ

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第37号) 被爆建物 こう使う

 71年前のあの日の熱線、爆風(ばくふう)を浴びた建物は、時がたつとともに姿を消しています。老朽化(ろうきゅうか)に加えて、耐震(たいしん)基準がどんどん厳しくなり、保存、活用するのに費用がかかるようになっているのが要因です。

 旧陸軍被服支廠(ひふくししょう)(広島市南区出汐)と広島大旧理学部1号館(広島市中区東千田町)は、それぞれ広島県と国、広島市が所有、管理しながら、長い間そのままになっています。ジュニアライターは今回、この二つの建物について、活用策を考えました。

 旧陸軍被服支廠は、鉄筋で造られた日本で最も古い建物の一つです。「日本一長いれんがの家並み」ともいわれています。広島大旧理学部1号館は、市内の中心部で「知の拠点(きょてん)」としての機能が高まる活用策が求められているといいます。

 「被爆の証人」である被爆建物。単なるモニュメントではなく、核廃絶(かくはいぜつ)と平和な社会の実現を訴(うった)え続(つづ)けるメッセンジャーとしての保存、利用を希望します。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの30人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

平和や郷土文化 学べる拠点に

旧陸軍被服支廠

 旧陸軍被服支廠(爆心地から約2.7キロ)は、鉄筋造り3階建てで、外壁(がいへき)は赤れんが造りです。長さ約91メートルの棟(むね)が南北に三つ、長さ約106メートルの1棟が東西、とL字形に並んでいます。

 1913年に建設。被爆時も火災は免(まぬが)れました。しかし、西に面した3棟の鉄の扉は爆風で変形。今もその痕跡(こんせき)をとどめています。被爆直後は臨時救護所として多くの被爆者が訪れました。戦後は広島高等師範(しはん)学校(現広島大)や広島工業高、日本通運が使っていました。

 これまで博物館や美術館にする案がありましたが実現せず、現在は使用されていません。最大震度(しんど)6弱を観測した2001年3月の芸予地震での被害(ひがい)はありませんでした。窓部分にベニヤ板が張(は)られていることもあり、建物内は暗く、閑散(かんさん)としていました。広島県財産管理課主査の伊藤洋子さんは「広島県民みんなが納得するような活用方法が見つかってほしい」と話します。(中3溝上藍)

学校生活 充実させる設備

 旧陸軍被服支廠は周りに高校や中学校が多数あり、子どもたちが立ち寄りやすい場所にあります。この利点を生かし、小~大学生を対象にした施設(しせつ)を設備しました。学校生活を送っている中で「どのような施設があったら便利か」や「被爆建物だからこそできる事はないか」などを、同じ世代の私たちが考えました。

 4棟(とう)あるので建物ごとにコンセプトを決めました。2棟は「学び」です。1棟は「原爆・戦争と子どもたち」に特化した資料館にします。被服支廠の役割に加え、集団疎開(そかい)、学徒動員などについて展示します。もう1棟は、静かな環境(かんきょう)で勉強できるように自習室を設置したり、図書館や書店を設けたりしました。

 残りの2棟は「文化」「ザ・広島」です。「文化」棟は、バンド演奏やダンスができるようにします。防音の部屋を、多くの子どもが利用できるようにします。「ザ・広島」は、主に修学旅行生向けです。国道2号に近く、建物の横には大型バスが止まれるスペースがあって便利です。

 ここ1カ所で、原爆・戦争について学び、広島の名産品や地産地消料理を買ったり食べたりできます。(高3岡田春海)

広島大旧理学部1号館

 広島大旧理学部1号館は、広島文理科大本館として1931年に建てられました。鉄筋造り3階建てです。建築当時はコの字形でしたが、2年後に増築されて今のE字形になりました。

 45年6月には建物の一部が、中国地方総監(そうかん)府(本土決戦に備え、本土が分断されても対応するための地方行政機構)として接収されます。爆心地から約1.4キロの地点にあり、原爆で建物は外郭(がいかく)を残して全焼しました。校舎内にいた学校関係者のうち36人が即死(そくし)、71人が重軽傷を負ったそうです。

 翌年9月に講義を本格的に再開。49年5月に学制改革によって広島大理学部校舎として使われるようになりました。理学部が東広島市に移転した91年から今まで、そのままになっています。(高1岩田央)

家族連れにも憩いと交流

 広島大旧理学部1号館の近辺は子どもの遊ぶ場所が少ないと考え、赤ちゃんから小学校低学年の子どもとその家族までを対象とした再利用案を挙げます。小さい頃(ころ)からヒロシマの歴史と建物に触(ふ)れ、平和への思いを持ってほしいと考えました。

 まず、屋外についてです。中央の建物の増築部分を撤去(てっきょ)し、アスレチック施設(しせつ)を造ります。やけどを防ぐために、広島県産の木材を使用。屋上にはソーラーパネルを設置し、太陽光で発電した電力を使います。

 屋内は、階層ごとにテーマを設けます。1階は遊びと文化交流の場。木のおもちゃなどを置き、神楽や茶道など伝統文化を学べるようにもします。

 2階では平和学習の機会を提供します。平和関連の本やDVDをそろえた子ども向け図書館です。赤ちゃん連れでも気軽に使えるスペースも設けます。その他、絵本のキャラクターグッズショップや、離乳(りにゅう)食や地産地消メニュー中心のフードコートも置きます。

 3階は今の小部屋をそのまま使い、被爆建物の雰囲気(ふんいき)を生かした利用にしました。会議や被爆体験講話、平和関連イベントができます。広島の発展や平和の発信へ貢献(こうけん)したい、という願いを込(こ)めました。(高3中原維新)

改装費捻出と補強案

ふるさと納税や「たる募金」活用 IPH工法で費用減

 耐震化(たいしんか)や改装費には多大なお金がかかります。広島県によると、旧陸軍被服支廠は建築基準法ができる前に建てられたため、どうしたら安全な建物になるか分からないそうです。約20年前、耐震化に1棟約21億円かかると試算しました。広島大旧理学部1号館は、広島市によると耐震化などで最高で約16億円かかるそうです。

 費用の一部をまかなうのに、ふるさと納税やクラウドファンディングを活用してはどうでしょうか。広島以外の国内外の人たちに被爆建物の存在、価値を知ってもらい、お金を出すとともに、訪れるきっかけになると考えました。「たる募金(ぼきん)」もいいでしょう。

 費用を減らす一策としては「IPH工法」を提案します。コンクリートの建物内部に樹脂(じゅし)を注入し、小さいひびも埋(う)められるそうです。さびを防ぐ効果も高いそうです。(中3溝上藍)

 二つの被爆建物の活用策は、高3中原維新、岡田春海、高2山本菜々穂、高1岩田央、中3溝上藍、中2川岸言織、中1森本柚衣が考えました。

(2016年10月20日朝刊掲載)

【編集後記】

 旧陸軍被服支廠の取材に行った時に、鉄でできている建物の窓がぐにゃりと曲がっていました。とても強い熱風が、この建物だけでなく、広島全体を焼け野原にしたのだなと強く感じました。中に入ると真っ暗で、とても怖かったです。また、広島大旧理学部1号館の被爆建物の活用案を相談している時、「Eの字の真ん中を壊して、アスレチックにする」という意見が出ました。私は壊さずにどう使うかを考えていたので、びっくりしました。両方の被爆建物が、今後アレンジされて、多くの人に使われたらいいなと思いました。(川岸言織)

 私は、初めて被爆建物について調べました。昔造られた建物が今まで残されていることはすごいことです。しかし最近、被爆建物が壊され始めているので、もっとたくさん再利用した方が良いと思います。再利用の案をもっとこれからも出したいです。(森本)

 被爆建物であることを生かし、さらにどのような需要がその土地にあるかを考えて活用案を出すのは、とても難しかったです。私自身、旧陸軍被服支厰を見るのは初めてでした。活用されるようになるためには、まず被爆建物が放置されているということが広く認知されなければならないと思いました。(山本)

 旧陸軍被服支廠に足を運び、実際に内部の見学をしました。しかし、広島大旧理学部1号館では安全の面で入ることができませんでした。安全面の保証ができない、ということでしたが、ならなぜずっと残してきたのか不思議に思いました。私たちの考えた案が少しでも活用案の検討について反映されたらいいなと思います。また、早めに決定し、いち早く多くの人のためになる活用がされることを願っています。(中原)

 今回のテーマは私にとって決して人ごとではない問題でした。それは東千田公園が移り変わっていく様子をずっと見てきたからです。小さい時から公園で遊んできたのでいつの間にか草や木が切られてたくさんの建物が建っていたことに少し寂しさを覚えていました。近くを通りすぎるたびに「この施設をおきたい」など、私なりに妄想を膨らませていたことを今回記事に加えることができ、多くの人に見てもらえて本当にうれしいです。(岡田春)

 今回、旧陸軍被服支廠を見学しました。前から何の建物か気になっていたので、とても楽しかったし、建物の中は今まで見たこともなかったので、すごく興味深いものでした。ぜひ自分たちの活用案が参考になったらうれしいです。(岩田央)

 身近にある被爆建物だったため、より活用してほしい思いが強くありました。私の願いは、今回考えた案が実現することですが、1番は価値のあるものとして存在感を持って、平和の大切さを人々に伝え続けてくれることです。(溝上藍)