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ヒロシマ・ナガサキ ZERO PROJECT

未来への道筋 語り合う ヒロシマ・ナガサキ ZERO プロジェクト 核の危険今も 認識共有

ペリー元米国防長官 中継参加

 10月29日に広島市でスタートした「ヒロシマ・ナガサキ ZERO PROJECT」。米国のNPO法人「1Future」が主催し、アートによる発信に加えて若い世代とともに四つのテーマで平和な未来への道筋を語り合う場が設けられた。米国からは元国防長官のウィリアム・ペリーさん(90)もネット中継で参加し、核と人類を巡る議論も深めた。(金崎由美、桑島美帆、山本祐司)

 広島市中区の妙慶院で、核兵器について議論したのは「人間」をテーマにしたセッション。カリフォルニア州の自宅から中継で参加したペリーさんは「世界が核の危険に直面し続けている現実を学び、伝えてほしい」と強調した。

 クリントン政権下で国防長官を務めた。「核兵器なき世界」を提唱し、オバマ前大統領のプラハ演説の土台をつくった一人。高齢をおして核問題の啓発と教育に打ち込む。「私たちに何ができるか」と会場の若者から問われ、「政策変更を求める政治的アクションを起こすのだ」と繰り返した。

 国連で署名が始まった核兵器禁止条約は「非常に意義深い」と評価した。核保有国とともに条約に背を向ける日本に「核兵器を率先してなくす国になるべきではないか」と注文した。

 ケネディ政権時代、核戦争寸前だった1962年のキューバ危機ではソ連の核戦力の分析にも携わった。核政策立案の当事者だからこそ知る「危機は過去ではない」という実感が、言葉からにじんでいた。

 ペリーさんとの意見交換を終えた参加者は被爆者の田中稔子さん(79)=東区=を交えた討議に移り、「諦めてはいけない。一人一人が声を上げることから始まる」などと語り合った。

政治に声 アクションを ペリーさん発言要旨

 孫やひ孫の世代に核兵器が使われることが決してないよう、全力を尽くすと自らに約束した。最優先に取り組んでいるのが教育だ。

 世界が核の危険に直面し続けている現実を学び、友人や仲間に伝えてほしい。その上で、国会議員らに政策変更を求める政治的アクションを起こすのだ。自分たちの声を政治に届けることで変化が可能になる。

 核兵器禁止条約の実現は非常に意義深い。条約自体が短期間で問題を解決する力を持つとは思わないが、核が人類に使われてはならない、と初めて取り決めたことは重要だ。

 米国は240年前、独立宣言で「すべての人間は生まれながらにして平等」だと述べたが、実際は奴隷制度があった。現実を原則に近づける努力の中で徐々に変化した。禁止条約にも通じる。人間として、国として何をすべきか考えよう。日本は核兵器を率先してなくす国になるべきだ。

 日米ともに核兵器の問題を巡り後退している。危険を知らない人が増えているのだろう。私たちの世代が核兵器を造り、使用に至った。核の恐怖を抑える試みは道半ばだ。核兵器の安全を確保するとともに、決して使われないようにする努力を続けているが、廃絶の達成まで長期間の苦闘になる。将来を若い世代に託したい。

被爆樹木の訴えに関心 価値観共存 大切さ学ぶ

 「環境」のセッションでは被爆樹木に関心が集まった。NPO法人ANT―Hiroshimaの渡部朋子理事長(63)は被爆樹木の大半が爆心地方向に傾いていることを紹介し、「私たちに何かを訴えている。木に会いに行って触って感じてほしい」と呼び掛けた。

 議論に参加した中国新聞ジュニアライターのうち高校2年の井丸貴拡さん(16)=安佐北区=は「それぞれの木に物語がある。まず自分が知り、多くの人に伝えたい」と決意を語った。

 妙慶院住職の加用雅信さん(45)が中心となった「仲間」のセッションでは「嫌いな人にどう接するか」という身近な視点から多様な価値観や文化が共存する大切さを学んだ。「社会」では、地域の資源を生かして持続可能な社会を実現する「里山」「里海」の発想について一緒に考えた。

「広島は再生のモデル」参加の米映画祭主催者

 「ZERO PROJECT」には、米ニューヨークのクレイグ・ハットコフさん(63)の姿もあった。2001年の9・11テロからの復興を願い、人気俳優のロバート・デニーロさんらと「トライベッカ映画祭」を始めた投資家だ。

 1Futureと共同でプロジェクト前日の10月28日に創設された「ディスラプター・アワード(社会貢献賞)ヒロシマ」の表彰式に合わせ、初めて被爆地を訪れた。

 1Future代表、キャノン・ハーシーさん(40)の祖父ジョン・ハーシーのルポ「ヒロシマ」を高校時代に読み、衝撃を受けた。緑があふれる平和記念公園を歩き、心が揺さぶられたという。「原爆投下は知られていても広島の復興の過程は知られていない。広島は希望の都市。街がさまざまな惨劇から再生するモデルになる」と力を込めた。

 ディスラプター・アワードはトライベッカ映画祭の一環で10年に米国で始まった。広島版の第1回は同プロジェクトに参加したミュージシャン佐野元春さんを含む7人に授与。来年以降も継続したいという。

(2017年11月6日朝刊掲載)