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ヒロシマ・ナガサキ ZERO PROJECT

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種 第61号 アートで平和発信 Ⅱ

 みなさんは、平和を願う気持ちをどのように伝えていますか。中国新聞ジュニアライターは、ことしも広島国際文化財団が協賛する「ヒロシマ・ナガサキ ZERO PROJECT(ゼロプロジェクト)」に参加しました。

 1946年に被爆地のルポ「ヒロシマ」を発表し、原爆被害を世界に伝えた故ジョン・ハーシーの孫で、米国で活動するアーティストのキャノンさん(41)たちが代表を務めるNPO法人「1Future」が昨年から呼び掛け、アートを中心に平和を発信します。

 今回は広島市中区の旧日本銀行広島支店と、浄土宗妙慶院でそれぞれあったワークショップに参加。被爆樹木の気持ちを想像して言葉を考えたり、平和への願いをデザインにするTシャツを作ったりしました。さまざまな方法で平和を発信することを学びました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるためにジュニアライターの中学生、高校生がテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

ヒロシマ 感じて伝える

被爆樹木の映像作品

触って書いた詩 重ねる

 旧日銀広島支店で7日にあったワークショップにはジュニアライター7人が参加しました。「ゼロプロジェクト」の大きなテーマがキャノン・ハーシーさんも3年前から取り組む被爆樹木です。会場のアートをみんなで見て、平和を発信する意味を話し合った後、米国ワシントン州の映像作家、ピーター・ビルさん(48)たちと一緒に、被爆樹木の気持ちを想像する作品づくりに入りました。

 まず近くの白神社前にある被爆樹木を観察し、木に触ったり、写真を撮ったりしました。爆心地から530メートルの場所で被爆したクロガネモチやカキなどがあります。どの木も被爆したとは思えないほどしっかりと根を張って生えています。

 「もし君たちが被爆樹木だったらどんな考えを持つだろうか。自分に問いかけて考えてほしい」というアドバイスを受けて、僕(ぼく)は幹の根元に座り、被爆樹木はどんなことを思っているんだろう、ということを想像しました。

 会場に戻り、全員がそれぞれ詩を作りました。僕はあの日、自分の目の前で苦しんでいる人々を助けることができなかったやるせない気持ちと、あの日を繰(く)り返(かえ)さないという強い気持ちを持った木を詩で表現しました。

 他のジュニアライターは燃え盛る炎(ほのお)に焼かれる家族を嘆(なげ)く詩や、あの日の思い出を語って、未来へ向かう詩などを作りました。最後にビルさんが撮影(さつえい)した被爆樹木の映像に詩を重ね合わせたデジタルアートができました。

 被爆樹木を背景に、僕たちが作った詩が一つずつ映し出されます。一言一言が心に刻まれるほど、平和への強い思いを伝えているように感じました。僕たちは誰(だれ)よりも長くヒロシマの街を見続けてきた被爆樹木になり代わって、二度と戦争を繰り返してはならないというメッセージを発信しました。(高2川岸言統)

 ピーター・ビルさんとジュニアライターがコラボした映像作品は、以下のアドレスから見ることができます。

http://1future.com/creative-workshop-with-hibukujumoku/

木の気持ちになって… ジュニアライターが表現

高1 斉藤幸歩

私は旅人。
流れる時空(とき)と
移ろいゆく人々の心を流浪する。
私は旅人。動かぬ旅人。
―この広島の片隅で―
さわさわ、ざわざわ、
これが私の息吹。
生き続けた私の息吹。

高2 川岸言統

話すことも
動くことも
あの日苦しむアナタに
手を差しのべることもできず、くさりゆく
何もできない
私だけど
私はここにいる
二度とくり返させるものか

高1 川岸言織

私の人生いろんなことがあったけれど
起こった真実は変わらない
変わることなどありえない
伝えたいのに
できないことがとても悔しい

高1 目黒美貴

見て、触れて、感じてください。
人とともに生きてきたわたしを。
わたしはここにいます。

高3 沖野加奈

妹を焼かないで。
娘を泣かせないで。
孫を幸せにしてください。

中2 大内由紀子

色々なものを見てきた
人々が苦しみ、悲しみ、泣く姿も
喜び、楽しみ、笑う姿も。
あの日の強い光 強い風 強い雨 絶対に忘れない
私が立つ景色は変わり果てた。
でも、私の人生はそれで終わりではなかった。
人は立ち上がり、路面電車が走った。
お母さんと手をつなぎ、遊ぶ子供、近くにあるベンチで昼寝をする人。
たくさんの景色を見ている。
そして私も青い葉を広げ、大きな実をつけ、新芽をつけた。
私は今とても幸せだ。

高1 伊藤淳仁

何があろうとも
私はいきる
記憶の中で
あなたの中で
みんなの中で
ずっとずっと生きている
これからもずっと活きていく

メッセージTシャツ

いろんな表現に出合う

 妙慶院というお寺で6日にあったゼロプロジェクト関連のワークショップ「ピース・ピース(平和のかけら)」にはジュニアライター6人が参加。平和のメッセージを込めたTシャツ作りに取り組みました。

 まず米国で原爆の惨状を伝えた故谷本清牧師について学びました。原爆孤児(こじ)の精神養子運動や原爆乙女(おとめ)の渡米治療に力を注いだヒロシマの被爆者です。長女の近藤紘子さん(73)が父の思い出を語るラジオ番組を基にした映像(えいぞう)作品を見ました。

 そしてオリジナルのデザインを考えるところからスタートです。自分の思いをシンプルに表現することはとても難しく、どの部分にプリントするかも悩みました。しかし、一生懸命作ることで平和と向き合う良い時間になりました。

 下絵作りでは、白い紙に黒いペンで描(か)き、専用の機械で画像を読み取ります。「版」というシートを作って、枠(わく)にはめます。赤や青などのインクを1色選び、版の上にたらしてTシャツへ刷りつけると、下絵の型通りに色が付く仕組みです。

 私たちはこんな作品を作りました。非常口のマークを基に扉(とびら)の向こうの花畑へ走る人を描いたものは「私にできることをすればいい」という近藤さんの言葉がヒントになっています。自らの手で「平和への扉」を開く強さを表現しようと、なじみのあるマークを使い、平和を身近な問題として訴(うった)えました。

 絵が苦手でも文字で伝えられます。「Peace World from Hiroshima」の言葉もTシャツに刷りました。谷本さん親子が努力したように原爆が落とされた広島こそ、平和を実現する先駆(が)けにならないといけない―。そんな願いを込(こ)めました。

 最後に、約20人の参加者全員が自分の言葉で作品について発表しました。まさに「十人十色」。平和を軸に、いろんな考えに出合うことができました。(高3沖野加奈、中2桂一葉)

アート展示鑑賞

希望のエネルギーもらう

 旧日銀広島支店では、キャノン・ハーシーさんやピーター・ビルさんが被爆樹木をテーマに制作した映像や版画(はんが)が展示されました。

 東京在住のアーティスト藤元(ふじもと)明さん(43)は空間を大きく使って銀色のテープを張り巡らした「幻爆(げんばく)」という作品や折(お)り鶴(づる)再生紙を使ったアートを展示しました。

 「平和」と一口に言っても表現方法の多様さに驚(おどろ)くとともに、言葉で説明しなくても平和や希望を強く訴(うった)えるエネルギーが伝わってきました。(高1目黒美貴)

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平和カフェで一緒に語ろう 27日 広島

 次回の「ピース・シーズ」は広島市中区の平和カフェ「ハチドリ舎」を取り上げる予定です。その一環として平和イベントを企画しました。27日午後3時~4時半に開く「Talk withジュニアライター~10代のヒロシマ記者と話そう~」です。

 ふだん私たちが取材で感じていることなどを本音で語ります。原爆や平和について一緒に考えませんか。参加を希望する人は24日正午までに名前、住所、電話番号、年齢を書いてメールでpeacemedia@chugoku‐np.co.jpに送ってください。問い合わせは☎082(236)2801(平日午前10時~午後6時)。定員は約20人。1ドリンク(500円)の注文が必要です。希望者が多い場合は抽選になります。お待ちしています!(高2藤井志穂)

(2018年10月18日朝刊掲載)

【編集後記】

 近藤紘子さんが子ども時代を振り返った映像作品を、10月6日の関連イベントで見ました。米国の番組を通じ、広島に原爆を落とした「エノラ・ゲイ」の副操縦士と対面した時の思い出を聞きました。近藤さんの目の前に現れたのは、意外にも、原爆投下に対し「何ということをしてしまったんだ」と涙をこぼす副操縦士のロバート・ルイス氏でした。「彼ではなく戦争を憎まなければ」「この人も私と同じ人間じゃないか」と思ったという10歳の紘子さんの声が心に響きました。戦争や、ホロコーストなど、迫害の歴史の背景にはいつも「相手(国)を同じ人間と思わない」という悲しい、そして間違った精神状態があると思います。これが戦争の一番の恐ろしさではないでしょうか?しかし当時は、刷り込まれたこの考え方から脱することは難しく、とても長い時間がかかるものだと思います。原爆で深く傷つき、大切な人を失った広島の人々なら当然「アメリカ」や「操縦士」を憎むはずです。だからこそ、一瞬にして怒りの矛先をルイスさんという「個人」から「戦争」に変えられた子ども時代の紘子さんに驚きを覚えました。そして同時に、それほどまでにルイスさんの涙は本心からしみ出るもので、堪え難い罪の意識にあふれていたのだろうと感じました。(沖野)

 初めてゼロプロジェクトに参加しました。平和という大きな概念をどう捉え、どう伝えるか。そんなことを改めて考えさせられるいつもとは一風変わった1日でした。普段はあまり意識していなかった被爆樹木の気持ちを考える-。実際、被爆樹木の幹に触れ、木の気持ちを考えたことで、歴史を越えてつながれた気がします。(斉藤)

 僕は今回、ゼロプロジェクトのディスカッションで、「核兵器廃絶だけでなく、飢饉(きが)や貧困、さらには、人々の小競り合いも考える『積極的平和』について関心がある」ということを話しました。自分の意見を話していると、ジュニアライターとしてこれまで感じていたことや、自分の考えをまとめることができたので、とても良い機会になりました。(川岸言統)

 今回のゼロプロジェクトに参加して、私は何度も涙を流しました。なぜ涙が出てきたのかその時も今も分かりません。「今、若い世代は原爆の落とされた日や、時間を知らない人たちが多い」という自分の言葉が、深く胸に突き刺さったからなのかもしれません。被爆樹木の気持ちを考えるワークショップでは、木が今までどんな気持ちでその場所に立ってきたのかを想像しました。とても興味深い体験でした。(川岸言織)

 無言の被爆樹木になりきって、木の気持ちを考えることは簡単ではありませんでしたが、頭を使って考え抜いた言葉だからこそ自分の思いを込められました。また言葉の無い相手の気待ちを想像することは被爆者の方への取材においても重要だと教わり、活動を続けていこうと改めて決意しました。(目黒)

 初日のワークショップで、谷本牧師の話を聞いたときは鳥肌が立ちました。自国に原爆を落とした国に行って、自ら原爆の怖さ語り、「ヒロシマ」という本をアメリカ全土に広めていった谷本牧師の強い気持ちに驚いたからです。今回、ゼロプロジェクトに参加して、今まで知らなかった谷本牧師のことや、「ヒロシマ」という本のことについても学ぶことができました。また、アメリカに行って原爆の被害を伝えた人がいたことを知りました。今年もこのプロジェクトから得るものがたくさんありました。次回もぜひ参加したいです。(桂)

 ゼロプロジェクト1日目の午後、自分は一番何を大切にしたいのかを考えながらTシャツをデザインしました。いろいろな言葉が思い浮かんだのですが、しっくり来ない。そんなとき「Don’t Forget」という文言がピタッと自分の中にはまりました。また、「人は2度死ぬ。1度目は身体が死んだとき。2度目はみんなの記憶から消えたとき」というお話を聞き、「忘れてはならない」と改めて感じました。2日目に、被爆樹木についてディスカッションをした際、僕は、「被爆樹木は生きているという感触がするから好き」という話をしました。実際に被爆樹木に触わることで、木独特の温もりに触れ、木の命を感じることができました。また、最後に撮影をした木にはハチが巣を作っていました。木とハチが同じ場所で生活をしている。生き物がそれぞれ譲り合っている姿に、生き物の本当の姿を見たような気がしました。今回のゼロプロジェクトではディスカッションを何度もしました。あまりジュニアライター同士で平和について話し合うことはありません。今回のワークショップを通じ、ディスカッションをしたことで、自分の中のばくぜんとした思いが少しまとまった気がする、と感じた2日間でした。(伊藤)

 このゼロプロジェクトには、私たちジュニアライターのような中高生から、大学の先生といった大人まで、幅広い世代の人たちが参加していました。近藤紘子さんの証言を紹介する映像を見た後に行われたディスカッションでは、参加者一人一人から、映像の中で心に残った場面や、各々の環境・視点で捉えてきた平和についての思いを聞くことができました。こうしたイベントで毎回感じるのは、私たち自身が、平和についての学びの対象になり得るのだ、ということです。当たり前のことだけれど、自分の考え方と人の考え方は必ずしも同じとは限りません。同じ絋子さんの映像を見たとしても、そこから実体験につなげていく人もいれば、まったく新しいものとして取り入れる人や、もやもやを抱える人だっているかもしれません。そうした意見を共有できる機会の大切さを改めて感じるとともに、平和を学ぶことのできる道の多さに圧倒された1日となりました。(佐藤)